第2章

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 コール音を聞き続けたことがよかったのか、なぜか頭の痛みが急速に薄れていった。もしやと思い、携帯を耳に当てたまま立ち上がってみた。西の傘の下から出たために雨粒をまともに全身に浴びたけれど、頭は大丈夫そうだった。痛みは、既に去っていた。 「なんかもう、全然大丈夫っぽい」コール音を聞きながら言った。西が傘から手を離し、おれの胸に飛び込んできた。抱きついてきた。やわらかい感触が、おれの腹に。 「………よかった」西の手がおれの背中に伸びた。おれも携帯電話を持っていない方の右手を、西の背中に置いた。  悲鳴のような。泣き叫ぶ声のような。恐ろしいブレーキ音。タイヤの擦れる音。恐ろしく重いものが何かに衝突した音。そして今度こそ本物の人間の悲鳴。  少し先の交差点で、交通事故が。今おれの目の前を通っていった乗用車が、おそらく赤信号なのに交差点に突っ込んで、右から来たトラックとまともに衝突した。「救急車呼んで!」「誰か!」「警察!」  おれと西は抱き合ったまま、傘もささずに事故現場を眺めていた。おれはいまだに携帯を耳に当てたままだった。慌てて発信を取り消し、携帯をズボンのポケットにしまった。 「ひどい」 「ああ」  乗用車はトラックに吹き飛ばされて交差点の停止線のところでまるっきり反対側を向いて止まっていた。運転席の部分はぐしゃぐしゃにつぶれていた。トラックは交差点の真ん中で止まり道を塞いでいる。道路にはタイヤ痕がくっきりと残っていた。後続の車から次々に人が降りてくる。あちこちでクラクションが鳴る。 「これ以上濡れたらまずいですよね」西が言い、おれの背中から手を離して傘を拾った。おれも傘とバッグを拾った。傘をさすと、内側に溜まっていた雨が落ちてきておれの髪を肩を濡らした。 「病院は行かなくていいの?」 「ああ、うん」あまりに衝撃的な瞬間を目にしたせいか、頭痛は完全にどこかへ消え去っていた。 「急いで帰って体拭いた方がいいです。風邪引いちゃいます」西の眼鏡は水滴だらけだった。 「うん。そうだね」 「事故のことは気になるけど、わたしたちにできることはないです。行きましょう」西と並んで歩き出した。  救急車のサイレンの音が聞こえた。事故現場から逃げるように、おれたちはバス停へと向かった。濡れた制服が、重かった。
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