第2章

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 嘘だ、と反射的に言おうとして、止めた。発信源がどこかはわからないが、噂はかなり真実に近いものがある。セックスしないと死ぬ病気なんて、荒唐無稽過ぎて火のない所からたつようなものではない。だとしたら、どこかで何かを、見られた。聞かれた。そう考えるべきだ。まさかおれの部屋での行為ということはないだろう。だとすれば病院か。病院でしたのは倒れた時と、つい三日前の金曜日。そのどちらかを、誰かに。 「おい向志、何とか言えよ」  今の噂では、悪いのはおれだ。おれが加害者だ。香奈は被害者だ。香奈は何も悪くない。だとしたら、この噂を否定しない方がいいのか? 今日、同級生たちがおれをじろじろ見ていたのは、おれを避けるようにしていたのは、このせいなのか?  香奈と急いで対応を相談しないと。あいつに迷惑をかけるわけにはいかない。いや、もうひどすぎるほどにかけているのだが。それでも、できるだけダメージは最小限にしないといけない。 「お前、桜木と付き合ってんのか? お前、西のことが好きなんじゃないのか?」 「香奈とは、付き合ってるわけじゃない。悪いけど、ちょっと戻って」 「てめえ、向志!」  聞き覚えのない音が耳に届き、いつのまにかおれは倒れていた。頬が、熱い。  見上げると、多田が拳を強く握っている。 「死ねよ」  仰向けのおれの上に乗り、多田が拳を腹に落とす。「うっ」呼吸が止まる。唾が口から飛ぶ。拳は何度も落とされる。何度も何度も。何度も何度も殴られるうちに口から出ているのは胃液か血か。熱い痛い苦しい痛い痛いいたいいたいいたいイタイイタイ痛い。なぜおれは殴られている? なぜ多田はおれを殴っている? なぜ? おれが悪いのか? おれは病気で、香奈がそれを助けてくれて、ただそれだけのことじゃないのか? 病人は罪人なのか?  馬乗りになっていた多田が立ち上がり、おれを見下ろした。多田の口が少し動いたが、結局言葉は発せられなかった。おれも、言い訳はしなかった。殴ったことを責めもしなかった。したかったが、どう言えばいいのかわからなかった。多田のあまりの怒りに驚いていた。  多田はもしかして。いや。おそらくは。多分。間違いなく。そうとしか考えられない。仰向けのまま起き上がれないおれを一人残し、多田はそのまま家庭科室を出て行った。
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