第2章

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 靴を脱いで玄関に上がる。母さんがパートで出かけているので、物音はしない。誰もいない。  制服を着替えることもせず台所を漁り、バナナを見つけた。痛みのせいで食欲はなかったが、食べたほうがいいだろう。皮をむき、ゆっくり、少しずつ口にした。嚥下するのが辛く、冷蔵庫から少しだけ残っていた牛乳を取り出し、紙パックに直接口をつけて飲む。  チャイムが鳴った。玄関に戻る。 「開いてる」  ドアが開き、入ってきた香奈はマスクをしていた。グレーのトレーナーに、紺のスウェットのパンツ。いつもより小さく見える眼。青白く見える顔。見るからにだるそうだった。 「お前、もしかして本当に体調不良だったの?」 「はあ? 具合悪くなきゃなんで休むのさ。この真面目なわたしが。多分土日に風邪引いたんだと思う。じいちゃんち、夜寒かったから」  そうだった。こいつは真面目な奴だった。ちょっと厳しいかと見られていた今の高校にも、一生懸命勉強して無事に受かったのだ。簡単に学校を休むような、ひ弱な奴ではないのだ。 「具合悪いのにすまん。とりあえず上がってくれ」 「うん。コウシも、具合悪そうだよ。大丈夫?」 「あ、ああ」  香奈が休んだのは風邪だった。ということは、香奈はまだ、あの噂を知らない。おれが、伝えなければならない。おれの口から、言わなければならない。  ゆっくりと歩く香奈を従え、台所を抜けて居間に行く。 「座っててくれ」香奈を座布団の上に座らせ、おれは隣の台所へ向かう。食器棚の奥から少しだけ高そうなグラスを二つ取り出した。冷蔵庫の中にはウーロン茶とコーラしかなかった。香奈には訊かずにウーロン茶を二つのグラスに注ぐ。これまで、家に来た香奈におれが飲み物を用意したことなんかなかった。申し訳ないという気持ちからか。あるいは、噂を伝えることを少しでも遅らせようとしているのか。  手が震えて危うくウーロン茶をこぼしそうになりながら、居間のテーブルまでグラスを運び、置いた。 「ありがと」マスク越しの声は聞き取りにくい。 「ああ」何となく、テーブルを挟んで向かいの座布団に座った。隣には、座れなかった。なぜかおれは、自然と正座をしていた。  話を切り出すのをためらっているおれより先に、香奈が口を開いた。 「……そんなに、したくなったの? 病人呼び出すほどなんだから、かなりヤバイの?」
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