第2章

18/29

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
「悪い。頼むよ」 「うん。……それじゃ、そろそろ家帰るね。ママが心配してるかもしれないし」 「ああ」  香奈がテーブルに手をついて立ち上がる。その弾みでテーブルが少し揺れ、コップの中のウーロン茶の水面に波が起こる。結局、二人ともウーロン茶に口はつけないままだった。  香奈が居間を出て玄関へ向かう。スニーカーを履き、香奈がドアを開けた。  香奈の背中に、声をかけた。 「ごめんな」 「謝らなくていいよ。仕方ないよ。こっちこそ、ごめんなさい。……また土曜に来るから。それじゃね」 「ありがとう。お大事に」  ドアが閉まった。サンダルをひっかけて、鍵をかける。居間に戻って、座布団の上であぐらをかく。コップのウーロン茶を飲んだ。冷たい液体が体の中を通り抜ける。それがきっかけとなったのか、散々殴られた腹が再び疼き出す。  授業がすべて終わったはずの時間を見計らって、おれは電話をかけた。かなり長い間、発信音が鳴り続け、やっとのことで相手は出た。 「もしもし」 「何」多田の声色は、明らかに普段とは違った。 「頼みがある」おれを散々痛めつけた相手に、ものを頼むことは屈辱ではあった。それでも、頼みを引き受けてくれそうな、引き受けられそうな友人はこいつしかいなかった。同性から見てもなかなかの男前で、クラスの女子たちとよく話している多田しかいなかった。 「噂を流してほしい」 「どんな」 「おれは病院で香奈のこと押し倒そうとしたけど、ものの見事に返り討ちにあった」 「お前の、エッチしないと死ぬとかいう病気についてはどうする」 「それはさすがに否定したい。そんな馬鹿げた病気、あるわけないだろ?」  しばしの沈黙ののちに、多田は言った。 「わかった。やってみる。うまくいくかは知らんが」 「ああ、もちろんだ。頼む」 「じゃあな」  おれの体を気遣う言葉を一言も口にしないまま、多田はあっさりと電話を切った。昼間のおれの反応から、多田はどれだけのことを察しただろうか。おれが香奈を抱いた、そのことには気付いているだろう。だからこそ、おれはあんなにも殴られたのだろう。  握ったままの携帯電話で、今度は電話をかける。相手はすぐに出た。 「はいもしもし」 「先日そちらでお世話になった山井といいます。看護婦の渡辺さんはいらっしゃいますか?」電話をかけた先はT大病院のナースルームだ。 「少々お待ちください」  待つこと数十秒。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加