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「うーん、まあ、別に欲しいものがあるわけじゃないんだけど。数字が増えていくのが嬉しい、のかな」
「そっか」多田はまだ笑っている。
「それじゃ私はお先に。コウシは病み上がりなんだから、寄り道しないで真っ直ぐ帰りなよ。多田くん、それじゃね」香奈が立ち上がった。
「気をつけてね」多田が手を振る。
「じゃあな」おれは香奈の背中に声をかけた。
香奈はバッグを持って跳ねるような足取りで教室を出て行った。白い細い脚が、きれいだった。
「貯金が趣味とか、変だよな」おれは多田に同意を求める。
「そうか? 家庭的っつうか、なんかいいじゃん。家計を安心して任せられそうで」
家計を任せる。家庭。嫁。旦那。結婚。妻。夫婦。考えたことのなかった単語が次々と脳裏を通過していく。
「多田、お前、熱でもある?」
「はは、冗談冗談。それじゃあおれ、今日は予備校だから。またな」多田は笑いながら教室を出て行った。
気がつくと、クラスメイトは数えるほどしか残っていない。用もないのになんで残ってんだろ。自分でも馬鹿馬鹿しくなり、カバンを持って立ち上がった。
イチニ、イチニ。
ランニング中の野球部員たちの掛け声を聞きながら校門を出た。バス停のある右に曲がったところで、見覚えのある後姿を目にする。
肉付きのよい白い脚。背中まで伸びた黒い髪。
少し早足で歩くと、すぐに追いついた。
「こんにちは」
「あ、山井くん」眼鏡の奥の目を大きく開いて、西が応えてくれる。
「西さん、家はどっちなの?」言葉がすんなりと出てきた。まるで、普通の、女耐性のある男子高校生みたいじゃないかと我ながら驚く。やはり、童貞でなくなったということが、知らないうちに自信につながっているに違いない。
「あ、私は尻内です」
「じゃあバス停は桜木町?」路線は違うが、向かっているバス停は一緒のはずだった。
「はい」
「じゃあ同じだ。バス停まで一緒に行きますか」
「はい」今度の返事は、なぜか消えてしまいそうな小さな声だった。
「山井くんは、確か市川なんですよね?」
「うん」
「桜木さんはご近所さんなんですよね?」
「うん。歩いて二分くらいかな。……そういえば西さん、テストはどうでした?」隣の西に合わせてゆっくりと足を運びながら、当たり障りのないだろう話題を振った。並んで歩くと、横から見ると、西の胸の膨らみがいつも以上にはっきりと認識できた。
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