第2章

6/29

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
「全体としては、可もなく不可もなく、って感じです。大体は調子よかったんですけど、数学がちょっとひどくて」 「ああ、皆、結構苦戦してたみたいだよね」 「…………」突然、西が黙り込んだ。 「どうかした?」 「……あの、ごめんなさい。私のせいで、テスト受けられなくて。一年生の時から、ずっと一番だったのに」 「な、全然気にしなくていいって。本当に西さんのせいじゃないよ。テストだって受けなくて済んでラッキーだと思ってるし」言ってから、自分の言葉が嘘だらけであることに気付いた。常日頃から西に欲情していることが、今回の病気と関係がないかどうかはわからない。テストが受けられず、戦わずして多田に一位の座を譲ったことが、悔しくなかったわけがない。 「本当ですか?」西がおれを見上げて言う。西はすがるような目をしている。 「うん、本当に」おれは西の目をまっすぐ見て頷いた。 「こっちこそ悪かったね。テスト前に不安にさせて。責任まで感じさせちゃって。クッキーのお返しもしてないし、あの、本当に、おいしかったです。だから、おれにできることがあったら何でもするよ」 「そんな、お返しっていうほど大したものじゃないですけど」桜木町のバス停が向こうに見えた。こんなに、近かっただろうか。 「……お返し、本当にお願いしていいなら、今度、数学教えてもらえませんか?」西が、怯えたような目でおれを見る。 「うん、もちろん。お安い御用です」 「やった! ありがとうございます」西が小さな右手を握りしめた。  ついにバス停に着いてしまう。タイミング悪く、おれが乗るバスがすかさずやって来る。普段は十分以上待つことも珍しくないというのに。 「それじゃ、また明日」開け放たれたバスの乗車口を前にして、おれは振り返って言う。 「はい。数学、お願いしますね。また明日」西が手を振ってくれる。可愛い、と思う。  後ろ髪引かれる思いとはこういうことを言うのだろうな。そう思いながらおれはバスに乗った。車内は空いていた。乗車口のすぐ後ろ、窓側の席に座り、窓から西の姿を見る。  西はまだ手を振っていた。おれも手を振り返す。恥ずかしいとは思わなかった。これが、青春というものかもしれない。自分には最も縁遠いと思っていた言葉を胸に抱いて、おれは小さくなる西に向って手を振り続けた。 六月六日(金)
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加