五 攻略

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 節分が過ぎた。  布都斯(ふつし)下春(したはる)は三十三歳なった。八島野(やしまぬ)十三歳、布留(ふる)五歳である。  五穀豊穣を先祖(うじがみ)に祈る新年の祭事がおこなわれ、新年の(いち)の前の上集(かむつど)えが執りおこなわれた。  (まつりごと)上議(かむはか)りの後、布都斯は上々(かみがみ)から話を聞いた。  その昔、石見(いわみ)大森は、銀の鉱脈を探すうちに南の山並みを越えて安芸(あき)が支配する地へ踏みいってしまった。そこが安芸の地とは知らぬ大森は、地元の民と話しているうちに捕えられて、安芸津(あきのつ)と呼ばれる()の安芸の館へ連行された。  館で大森は、安芸の地に足を踏みいれたわけを聞かれ、銀の鉱脈を探していることと、石見にない産物を欲していることを話し、安芸の地の民と交易したい旨を申しでた。  安芸は西州(さいしゅう)の都市国家と交易するため、金や銀を欲していた。大森の石見で産出する銀に興味を持った。大森が安芸に銀を貢いで従えば、安芸の地の民と自由な交易を許して、大森の一族を保護するが、従わねば生きては帰さぬと言って安芸は大森を従わせた。  大倭(おおやまと)の南に吉備(きび)の国がある。  吉備の国へは仁多郷(にたのさと)から簸乃川(ひのかわ)をさかのぼり、国境の船通山(ふなどおりやま)を越えて高梁川(たかはしがわ)を下り玉島へ至る。ここは吉備津彦(きびつひこ)(?か、蘇民?か胡但?)の支配地である。安芸の地と同様に南に内海があり、海辺は漁業、海から遠ざかると農業が盛んである。特産物はない。一族をまとめる(おさ)はいるが、他の民を支配するような大豪族はいない。安芸との関係は薄い。
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