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「ねえ、修一……俺もう帰ってもいいかなあ、ていうか帰りたい」
「バカなこと言ってるんじゃないよ。ほら、一昨日お前が見たいって言ってたカタログ」
「――ありがと」
夏樹は修一から新商品のカタログを受けとると、やる気無さそうに机に肘をつき、受け取ったカタログを捲った。
高校の時からの腐れ縁であるこの小柄な同僚、今朝、出社した時からどうも様子がおかしい。
スーツ姿が、まるで七五三によそゆきの洋服を着せられた子供のような印象を与えるが、仕事ぶりはとても真面目だ。
そんな夏樹が冗談とはいえ、仕事半ばに帰りたいと言い出すなんて、何かあったのだろうか。
「夏樹、お前、昨日は確か桜が丘学院から直帰だったよな」
「……っえ? ああ……うん。そうだけど、何?」
「いや、別に」
「あ、そう…………っあ! このリングファイルいいな。四穴で書類もずれないし、背表紙も見やすいよ。ねえ、そう思わない? 修一」
それまでやる気なさそうにカタログをパラパラと捲っていた夏樹が、桜が丘学院の名前を修一が出した途端、ビクリと肩を震わせカタログに集中しているフリをした。
ちなみに、今夏樹が開いているのは接着剤関連のページで、四穴のリングファイルなんてどこにも載っていない。
あきらかに挙動不審だ。
桜が丘のタヌキが夏樹のことを変な目で見ていることを知っている修一は、もしかしたら夏樹がタヌキに何かされたのではと思い至った。
だいたい夏樹は高校生の頃から、通学時の満員電車に乗れば必ずと言っていいほど痴漢に遭遇していた。また、休みの日に遊びに出掛けた際など、夏樹の姿が見当たらないと思って修一が辺りを探せば、知らない年配の男性にずるずるとどこかへ連れて行かれそうになっていたことも一度や二度ではない。
夏樹は、道を聞かれたので教えていたらいきなり手を掴まれたと言っていたが、これまでの経験から、なぜ相手の下心に気づかないのか。
別段面倒見がいい方でもない修一なのだが、この年配のおじさま方から妙な方向に受けがいい夏樹のことは心配で目が離せない。
「お前さあ、もしかして青嶋のタヌキから何かされた?」
カタログに貼り付けようと付箋を探していた夏樹の動きがピタリと止まった。
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