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「――ん? どうした?」
「んーっ、んーっ」
「何だ、何かあるのか?」
夏樹の必死な様子に、男が噛ませていた猿ぐつわを外した。
「――――っ」
「大きな声は出すなよ」
大声で助けを呼ぼうと大きく息を吸った夏樹の首に、刃物のような感触が当てられる。夏樹は息を吸い込んだまま、動きを止めた。
「……トイレ、に、行かせて……ください」
夏樹はトイレに行きたいとだけ、ようよう絞り出すように言った。
「トイレだって?」
先程出ていった男が夏樹の状況を聞かされ、戸惑ったような声をあげた。用心のためか、わざと声音を変えており相変わらず誰なのかはわからない。
男は夏樹の頭を冷やすために氷を取りに行っていたようだ。今、夏樹の頭には彼の手によって氷が当てられている。
拘束を解いても大丈夫なのか、男から逡巡している気配が伝わってきたため、夏樹はさもトイレに行きたくて堪らないように、モジモジと腰を動かした。
「早く連れて行った方がいいんじゃないか?」
「…………」
夏樹のことを拉致した方の男が、夏樹の様子を見て心配そうに声をかける。
これは夏樹にとって手足を自由にできるかもしれないチャンスだ。これを逃せば今度はいつそんなチャンスが訪れるかも分からない。
夏樹は本当に切羽詰まったように体を捩った。
「あの……トイレ……お願い」
夏樹の必死の願いが通じたのか、男のため息とともに夏樹の足の拘束が解かれる。
「変な気は起こすな」
声音は変えていても凄みのある低い声に、夏樹は首を何度も縦に振った。
足の拘束は解かれたが、手の自由は奪われたままだ。また、足が自由になった夏樹が逃げないようにだろう、今度は腰にロープが巻かれた。
「あの……」
「どうした? すぐ正面がトイレのドアだ」
閉じ込められていた部屋から出され、トイレまで連れて来られたのはいいが、目隠しをされた上に後ろ手で両手を縛られた状態で、どうやって用を足せというのか。
「ああ、そうか」
何かに気づいた男がトイレのドアを開けてくれた。
「逃げようとして無駄だから。ドアは少し開けておく」
男がそう言って夏樹の腰に繋いだロープを引っ張る。
「…………」
「行かないのか?」
「いえ、あの……手」
「手?」
「手が、これじゃ……できない、です」
「……」
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