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鍵を開けて入ってきた新島は、翠の傍らに無造作にコンビニのレジ袋を置いてなにも言わずに通りすぎた。
新島がキャビネットを開けてサンダルを片付ける音だけが、物理実験準備室の中に響く。
「何が起こったのか判ってない顔してたぞ」
苦笑混じりの新島の言葉に翠は唇を噛んだ。新島に言われるまでもない。「ごめんなさい」とだけ言って逃げたのだから、先輩にしてみたら訳が判らなくて当たり前だ。
顔を上げられずに、視線だけ傍らに置かれたコンビニの袋に移す。中には生クリームの乗ったプリンが入っていた。
「これ、いいの?」
「ん、食って元気だしな」
「わーい」
プリン一つで少し浮上する心に翠は少し安心しながらフタを剥がす。ふわんとバニラの甘い香りがして、スプーンですくって一口口に運ぶと、口の中でプリンとクリームが溶けていく。一緒に、涙が出た。
「っく…」
どうして今頃になって涙が出てくるのか全く判らないのに、ポロポロと涙が溢れてくる。
「北川」
新島に呼ばれて顔を上げると、ポケットティッシュが飛んできた。
「それしかないからな」
大事に使えよ、と眼鏡の奥の黒い瞳が僅かに微笑んで、すぐに新島は手元のプリントに視線を落とす。どうしてなにも言わずにいてくれるんだろう。いつも理由を聞かずに、責めたりもしないで泣きやむまで居させてくれるこの部屋が、翠には学校の何処よりも安心する場所だった。
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