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だけど、そんな問いを今この場で先生に見つめられたまま口にできるはずも無かった。答えない私に、先生は静かに言った。
「さっきの質問、俺はどう受け止めたらいい?」
先生の指が、私の頬をそっと撫でていく。
「どういうつもりで聞いた?」
声が、出ない。私は蛇に睨まれた蛙みたいに、何も言葉が出てこない。だけど先生から目を逸らすことも、出来なかった。
「翠、答えて」
「私……私……」
先生の言葉はすごく意地悪だ。結婚しているのか、彼女が居るのか、それを聞くだけですごく勇気が要ったのに、その先も言わなきゃいけないなんて。
「質問変えようか。俺に教師で居て欲しい? それとも……俺は、男?」
思わず息を呑んだ。緊張しすぎて喉はカラカラだった。
「翠」
私の名前を静かに呼ぶ先生の声が、耳の奥で何度も響く。先生の親指が、私の唇をなぞっていく。場所を確認するように。
「答えないなら、男になるけど」
カチャンと静かな車の中に響いたのは、先生がシートベルトを外した音。助手席のシートに先生が手をかけると、かすかに布のこすれる音がして、身体を乗り出してきた先生との距離が一気に縮まった。
「お前、なんも答えなくていいの?」
何を答えたらいいのか判らないほどに、頭は真っ白になっていた。私が黙って目を閉じると、唇に一瞬触れたやわらかい感触。目を開けると、吐息が触れるほどに間近に先生の瞳があった。眼鏡の奥のその瞳に最終確認をされた気がして、もう一度瞳を伏せると、今度はさっきよりもしっかりと唇が触れ合った。
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