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「帰り、平気か?」
「?」
「電車乗れそうか?」
言われて、翠は唇を噛んで俯いた。朝の電車では、男の人が近くに居るのが怖かった。帰りも、と思うと憂鬱に思っていた。
「あんまり、平気じゃない……です」
翠の答えに、目の前のその人は眼鏡の奥の瞳を少し寂しげに微笑ませた。
「送ってやるから待ってな」
翠は小さく頷いた。
「せんせ、なんて名前?」
「新島、お前は?」
「翠、ヒスイの翠って書いて、すい」
名前を答えたら、こつんと頭を小突かれた。
「名前じゃなく苗字」
「……北川です」
わずかな微笑みと素っ気無いのに優しい言葉が、心に広がる憂鬱を拭ってくれる。定位置らしい昨日も使っていた奥の実験台でパソコンを開けた新島を眺めながら、温かいミルクティーを飲む。コーヒーとは違う、甘くて優しい味わいに不安な気持ちはゆっくりと溶けていく気がした。
これ、わざわざ買ってきてくれたのかな? それを聞いてもきっと素っ気ない言葉しか返ってこないのだろうと想像がついたけれど、気にかけて貰えていたのかもしれないと思うと、一人じゃないのだという安心感が胸に広がっていく。
誰かに側に居て欲しかったんだと、やっと気がついた。
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