第1章

2/6
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/28ページ
 ――プツン。  瞬き一つしたとしか感じない。だがそれだけで、疲れの溜まっていた頭はすっかり軽くなっていた。光沢のある土台の上に柔らかいクッション。横になると頭部側が扇状に張り出し、頭をすっぽりと覆う。そんな寝心地抜群のベッドから、俺は身を起こした。  このベッドは、『インスタントブレイン』と呼ばれている。横になるだけで疲れていない新しい脳と交換してくれるのが主な機能だ。もちろんただまっさらな脳と交換したって仕方がない。新しい脳は交換前の脳の記憶を引き継ぎ、連続的な意識を保っている。使用済みの脳は記憶を消去され、次の交換までインスタントブレインの中で保管されることになる。  立ちあがって自分の部屋を見渡した。部屋の様子は覚えている通りだった。この部屋にインスタントブレイン以外の家具はないためガランとした部屋の中に変化は起こりようもないのだが、それでも埃の立ち具合だとか、生活の匂いといったものは毎日わずかずつ違っている。俺はそれを感じ取って、自分の記憶に断絶はないと判断した。つまり今日もエラーを起こすことなく、ちゃんと交換作業が行われたことを確認したわけだ。  壁に掛けられた時計に眼をやった。今では珍しくなったアナログ式の時計は、午前四時四分を指している。ベッドに横になってから、まだ五分ほどしか経っていない。  インスタントブレインという呼び名は、脳の交換作業がスムーズに行われることから名付けられた。今やこの装置は、現代を生きる者にとってなくてはならない存在となっている。製造会社も主力商品であるこの装置に合わせて、インスタントブレイン社と名を改めたほどだ。まあ、もとの社名が何だったかなんて誰も覚えちゃいないんだが。  立ち上がり背筋を伸ばした。脳の疲れは取れても、体はそうはいかない。そろそろ体も交換しに行くべきか。だが今は仕事に行くのが先決だ。  昨日と同じくたびれたスーツを着たままだった俺は、まだそれほどくたびれていないスーツへと着替え、洗面所で髭を剃った。  洗面台の鏡にはさっぱりとした二十代半ばの顔が映っている。二枚目とも三枚目ともつかない特徴の無い顔だ。髪は耳に掛かる程度の長さだが、額から襟足までの生え際をよく見ると、頭部を囲むようにうっすらと切れ目が入っている。アタッチメント化された頭部の切れ込みだ。俺は切れ目を軽く指でなぞった。痛みはない。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!