第1章

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 滑るようにタクシーは発進した。会社に到着するまで俺は前部シートの後ろに取り付けられた平面立体テレビを見ることにした。チャンネルはもちろんCNNだ。リスト化されたニュースの中から、必要なものをいくつかピックアップする。一つのニュースで約十五秒。昔のCM並みに必要な情報だけを的確に伝えてくれる。  五十ほどのニュースを見終わったところで会社に到着した。百階建ての超高層ビル。そこは大手電気メーカーの本社だった。スーツ姿の人々が吸い込まれるように入っていく。このビルに一体どれほどの人が勤めているのか俺は知らなかった。もしかしたら一万人以上が勤めているかもしれない。データベースを検索すればすぐに分かることだが、調べたことはない。知っても仕方のないことだからだ。タクシーを降りると俺はまた人の流れとともにビルの玄関ロビーを通り過ぎ、エレベータに乗っていた。  二十四階でエレベータから降りた俺は、総務課がずらりと並ぶ中、その一つである総務四課と書かれた部屋に入った。そこでは百人ほどの課員がデスクワークに勤しんでいる。 「おはよう、矢野君」  自分のデスクへと腰を下ろした俺は、隣の席の井上さんに声を掛けられた。 「おはようございます、井上さん」  俺はにこやかに挨拶を返した。井上さんの顔は寝不足らしくかなりやつれている。とはいえそれはいつものことだった。五十手前である井上さんは、まだインスタントブレインを使用していない。 「昨日頼んでいた書類だけど、もう出来ているかい?」  井上さんがそう尋ねてきた。その口調はまるでお上にお伺いを立てるかのような弱々しさだ。 「ええ」  俺はデスクの引き出しの中から、一枚のメディアを井上さんに渡した。書類はもちろん電子化されている。 「いつもすまないね。矢野君は仕事が速くて助かるよ」  俺は井上さんの分の仕事を頼まれていたのだった。  インスタントブレインが普及したこの時代、平均労働時間は十六時間に増え、残業を含めると労働が二十時間に及ぶことはざらになっている。それでも、一部にはインスタントブレインを使用していない人間はいた。井上さんもその一人だ。この歳になって出世していない理由もそのあたりにあるのだろう。どうしても睡眠不足となってしまう井上さんのために、俺はたまに彼の分の仕事をこなしてやっていた。 「井上さんもそろそろ使ったらどうですか?」
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