紅蓮音エド

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そもそも、あくまで生命維持を前提として作戦を立てている様が、笑える。 なるべく兵員を減らさぬように、死なさぬように。そうせざるを得ない人間たちの、自らを縛りあげる「道徳観」という奴が、特に可笑しい。 作り直せばいくらでも何度でも使いまわしのきく、あるいは使い捨てのできる自分たちと違って、人間は人間を積極的に死なせに行かせることができない。 ひとたび弾に当たればあっけなく活動を停止してしまう軟さ、修理できない上に育てるのに時間がかかるというコストパフォーマンス的な要因ももちろんあるにはあるだろう。 だがそれ以上の要因として、に「同族を殺すことへの抵抗」が彼らには働く。 人が人を殺すこと、死なせにいかせることは悪いことだと、 そういう何もかもを超越した絶対的な規定概念が彼らの世界にはある。 かつて「特攻」という死を前提にした戦法を二次大戦で日本は実行した。それは現在に至って「残虐極まりない無謀な作戦」として語り継がれている。 戦争であっても、極力人は死んではならない。死なせてはならない。英雄とその当時は称えられた兵士たちも、結局後世には人殺しの一端と記憶されるように。 なんとも矛盾したと思える概念だが、絶対的な世の中の節理。それがある限り彼らはやはり、殺し合いの作戦も慎重に立てざるを得ないらしい。 彼らの持つ最低限の理性を…人間性、というのだろうか? そういう良心の呵責を軽減するために、自分が生み出されたのだろうという自覚はある。 右腕に装備されたゴテゴテとスマートさのかけらもない七口径七銃身のガトリングガンも、背面装備の俗称でファンネルビットと呼ばれる遠隔兵器も、 全部人間が人間を殺す時の罪悪感…「人間性」からくる呵責から少しでも逃れるために装備させられたもの。 少しでも多くの敵を殺せるようにと、人間の負担を軽減するためにとくっつけられたもの。エゴの具現のようなものだ。
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