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「…雪菜の話はやめよう」
降り下りる沈黙を振り払って、彼は私に背を向けた。
「え……でもっ、咲菜ちゃんとの約束は…」
「咲菜、そろそろ寝る時間だ。ベッドに入って麻弥に絵本を読んで貰うといい」
タイミングを合わせたように重なった、二人の声。
彼は振り返りもせず、まるで煩わしい物を避ける様に、突っ立つ私をそのままにして少女の元へ歩いて行く。
私は一人霧の中に置き去りにされたような気持ちになって、彼の背中を切なげに見て口を噤む。
「はぁ~い。マーヤ、おやすみなさいだよ。えほんよんで、おやすみなさいだよ」
咲菜ちゃんはテーブルの上にスケッチブックとクレヨンを置いたまま立ち上がり、声を弾ませ私に視線を飛ばす。
「お絵かき道具は部屋に片付けなさい」
先生はこちらに駆けて来ようとする咲菜ちゃんを止め、広げられたスケッチブックに指をさす。
絵本を読んで貰うのが待ちきれないのか、少女は慌ててクレヨンを掻き集めてケースに押し詰めた。
「かたづけた!パパ、おやすみなさいして!」
咲菜ちゃんは元気のいい声で言って、おやすみなさいのハグを求めてソファーに座る父親の膝の上に飛び乗った。
「はい、おやすみ。朝寝坊しないおまじないだ」
彼は甘える愛娘をギュッと抱きしめると、小さな鼻を摘まんでフッと柔らかな笑みを浮かべる。
当たり前に見る、微笑ましい光景。
愛情に満ちた、父親と娘の温かな時間。
――それなのに、胸が痛むのは何故?
数か月後、私はこの二人の前から姿を消さなければならないから?
家族になる夢が壊されてしまったから?
そうだ…
どんなに近くに居たって、私は一人蚊帳の外。
―――じゃあ、雪菜さんは?
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