『希う。』

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 名前は、いろいろと迷った。  漢字の意味や音の響きで選ぶとしても、無数に選択肢があった。  靖彦さんならどんな名前をつけるのだろう。答えのでない問いを繰り返した。でも、ふと、靖彦さんが望んでいたことを思い出した時に、すぐに決まった。 『男の子だったので、希美彦にします。読み方は、きみひこです』  女の子なら『希美歌(きみか)』にしようと思っていた。 『良い名前だ。人見の名から一字とったんだんだな。ほかは、なにか、理由があるのか?』 『京都へ桜をみに行った時に、靖彦さんから、自分が、どうありたいかを、訊かれたんです』  その時私は、答えられなかった。 『靖彦さんが、僕は、美しくありたいと言っていました』  桜の花びらのふりしきる中、そう言った靖彦さんはとても美しかった。ただ、その言葉の本当の意味はその時にはわからなかった。  しばらく、山崎さんから返信がなかった。きっと、靖彦さんの言葉の意味に思いを巡らせているのだろう。 『その時に、美しい思い出になることを決めたんだな』   山崎さんの言葉が気になった。 『どうしてそう思うんですか?』  山崎さんには、いろいろなことを話していたとわかっている。 『そのうち話すつもりにはしていたんだが。人見は、病気のことをお前に伝えるか迷っていた』  話してもらえなかったことが悲しかった時期もあった。  あの日の靖彦さんの表情を思い出す。あの時の靖彦さんにはまったく迷いがなかった気がする。  山崎さんの言うように、心から、美しい思い出になりたかったのだろう。
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