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冬の名残の最後の雪は屋敷の広大な庭園を白銀に染め、季節の終わりを美しく告げていた。
白銀の庭園を見渡す東屋に一人、静かに舞う雪を眺めれば、それはどこから降ってくるのか。軽い結晶は掌に落ちて冷たい水滴に変わった。
この美しい景色に身を埋め、自分もその一部になるかと両手を広げ空を仰げば、遠くに自分の名を呼ぶ声が僅かに届いた。
「媛响様……どちらにいらっしゃいますか……」
響は梅の枝に積もる雪を払い一番蕾の多い一本を折り、屋敷の縁を上がる。
縁をするすると早足で探し回っていたであろう秌が、やっと響を見つけて安堵に息を吐く。
「随分探しましたよ。どちらにいらっしゃったのです?」
「ちょっとね。これ、綺麗でしょう」
「まぁ、梅でございますか。仰って頂ければお切りしましたのに」
渡された梅の枝の切り口を見て、秌が眉を下げる。
「次はハサミを借りて行きます」
東屋は響と、愛しいひとの秘密の場所。女官尚の秌にも、宰相の将極にさえ決して教えてはいけないよと、柔らかく微笑む愛しいひとの言葉を思い出す。
「私にも秘密だなんて、水臭いったら。媛响様、主上には内緒で教えて頂けません?」
「駄目ですよ。あそこは大事な場所だから、絶対教えません。それより、何か用だったんじゃ?」
口を割らない響に唇を尖らせる秌は、はっとして自分が響を探していた事を思い出す。
「そうそう、お昼の支度が出来ましたので、お呼びに上がったのです」
「ああ、もうそんな時間なんだ」
時計の無いこの地では時間感覚は体内時計か、時計台の管理官が鳴らす三度の鐘を目安にするしかない。鐘を聞きそびれてしまえば、こちらの時間感覚にまだ慣れない響にとって最後の頼みは腹時計のみ。
言われてみれば少し腹も減ったようだ。響は秌について座敷に向かう。
途中秌はすれ違った下女に梅の枝を渡し、執務室に飾るよう指示した。
「今日は一日籠っておいでですから、媛响様からと言付ければ主上もお喜びになるでしょう」
「じゃあ今日も煌隆は夜までこっちには戻らないんですか?」
「ええ、まだ正月に溜まった仕事が残っていますので」
響は主の居ない隣の座椅子を見る。本来ならここで、愛しいひと──煌隆と並び、秌の座る場所では将極と、三人で食事を摂る。
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