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剛をじらすかのように時間はゆっくり流れた。いちいち数えるのも面倒なほど駐車場を往復し、ようやく初日の勤務を終えた。剛のずぶ濡れ姿に従業員は驚いたが、矢吹だけは、
『一日で辞めるなよ! 明日は日曜日だからもっと忙しいぞ。しっかり頼むぜ!』
『子供の遊びじゃないんだぞ!』と、
低いしゃがれ声を張り上げた。その凍てつく嘲笑が、剛の神経を逆撫でした。
剛は挨拶もせずに事務所を逃げだした。止む事のない雨粒が、
〝これでもか! これでもか!〝と、待ち構えていたかのように剛の充血した両目に襲いかかった。固く握り締めた拳がぶるぶる震えたが、それは決して雨に打たれた物理的影響ではなかった。
剛は危うい足取りで無意識のうちにJR守山駅に帰っていた。田舎特有の外気と月影は、傷心に抑圧からの解放感を与えた。剛は暗闇の駐輪場で母親手製の弁当を開いた。腹が減っていた訳ではないが、箸をつけずに持ち帰ることはどうしても避けたかった。我武者羅に口を動かしながら、
「悔しいよ…・… ごめん…」
見上げた夜空に浮かんだ母親の痩せた姿に、ポロポロと大粒の涙が溢れた。
翌日の日曜日、秋雨前線の影響を受け運行ダイヤが大幅に乱れた。開店間際に到着した剛に、
『来たのか? 辞めたと思ったよ!』
『来ない方に賭けたのに、残念だ!』
『早く便所掃除に行け。隅から隅まで徹底的にな!』と、
矢吹は怒りの表情を顕わに睨みつけた。おそらく剛の身の振り方に金銭か厄介な仕事を賭けたのだろうが、今の剛には刃向かう気力も失くしていた。そして、矢吹はトイレ清掃を終えた剛に、
『雨だから駐車場は後回しだ。吸殻回収をやれ!』
『客に迷惑を掛けるなよ! 学生さんヨ!!』と、
一方的に剛に命令を下した。当時のパチンコ店の灰皿清掃は現在と違い、吸殻自動回収システムの導入は皆無だった。パチンコ台一台毎に固定された灰皿の吸殻を集める仕事は、新入りアルバイトの暗黙の掟だった。通路幅もパチンコ台の間隔も狭い悪条件で、全台の吸殻回収作業は並外れた忍耐と体力が必要不可欠だった。大半の遊技客は、
『早く終われ!』
『邪魔だ!』
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