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『灰を落とすなよ! クリーニング代を請求するぞ!』と、
罵声を浴びせ、露骨に嫌な表情を浮かべた。況してや、負けが込み、泥沼に嵌り込んだ遊技客は、言葉だけではなく肘鉄を食らわす無法地帯であった。剛は腰を屈めながら、
『すいません…・灰皿を清掃します…・ お願いします…』
『すいません…すいません…すいません…・…』と、
オオカミの群れの中に取り残された子羊のように狼狽えた。十年以上サッカーで鍛えた下半身と精神力はものの見事にボロボロにされ、休憩することも母親手製の弁当を口にする事も叶わなかった。
午後六時、二日目のアルバイトが終わった。生き地獄から解放された剛は制服を脱ぎ捨て、逃げるように通用口から姿を消
した。ごく自然に大きな長めの嘆息が漏れた。同時に、夢であってほしいと思ったのだろうか、脳の記憶を懸命に書き直そうとしたのだろうか、首を大きく左右に何度も何度も振ったが、当然その記憶を消すことは不可能だった。奈落の底に突き落とされた自分自身を受け入れるの事をどうしても許せなかった。その時だった。視線の陰から、
『彦坂君! お疲れ様!』
『少しは、慣れましたか?』
『結構、大変でしょう。 金を稼ぐ事は辛いですね…・…』と、
あの時の男性が歯に衣を着せぬ物言いで歩み寄った。剛は、振り向きざまに眉を顰め、
『あのー、実は…・…』
『今日……・・で……』と、
言い掛けたが、彼は次の言葉を遮った。そして、剛の心中を透視したかのように、
『その顔じゃ、辞めようと考えていますね?』
『私も入社当時、掃除作業を三カ月続けましたので、彦坂君の渋い表情は読み取れますよ』
『彦坂君! 半年だけは頑張ってみて下さい。貴重な体験だと思いますよ!』
『それと、金銭を得るという事は、時間と体力と神経を使った人への対価です。それだけでも理解すれば、将来、君の役に立つと思いますよ』と、
あの時の冷たい視線とは裏腹に、零れるような親しみを満面に浮かべた。そして、
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