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森羅万象すべて教訓 その2
残暑が厳しい京都の野山にも、“秋の野に咲きたる花を指折かき数ふれば七種の花”と、山上憶良が詠んだ万葉詩歌を彷彿とさせる季節が訪れた。
剛のアルバイトは一カ月が過ぎ、昨日は生まれて初めて正当な労働に対する対価を得た。怖いもの知らずで悪事を繰り返していた日々の方が遥かに稼げたが、小さなしこりのようなものが胸にたまっていた。硬貨を数えながら、
「金銭を稼ぐと言う事は、時間と体力と神経を使った対価です。それを理解するだけでも、将来、役立つと思います」と、
中村がポロリと言った言葉を思いだした。高が八日分の給料だが茶封筒の札は滑るようになめらかな肌触りで、剛の流した汗と涙の対価だと思うと、まったく重みが違った。そして、同時に、
「素敵な青春を歩んで下さい。負けないで下さい!」
「素晴らしい経験を積んで下さい!」と、
兄のような柔らかい眼差しを走らせた中村に、言うに言われぬ心惹かれる感情が剛の胸の中で次第に一人歩きしていた。
十月下旬、矢吹は相も変わらず剛を顎で使い、聞くに堪えない言葉を平気で口にしていた。剛は敢えて唇を固く結んで無言の反抗を押し通した。それが、片意地を張る窮余の一策であった。客と接する機会が少ないトイレと駐車場の清掃には慣れたが、身動きも儘ならない混雑の中での吸殻回収作業は、額際に汗が光るほど神経を使った。
この日も、
『申し訳ございません』
『失礼します、灰皿を掃除します…』
『御協力… お願します…・…』と、
丁寧な口調で客の逆鱗に触れないように配慮したが、
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