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平成二十四年三月三十一日、帰京の朝を迎えた剛は、馴染みのタクシーに乗車した。昨夜のアイスバーンから湯気が立ち、春の近さを思わせる温もりが頬を撫でた。
『仙台駅に向かいますが・・・』
『その前に少し遠回りをして下さい』と、
剛は思わず進路変更を申し出た。
最後にもう一度、不屈の精神で東日本大震災の苦難に耐えた仙台の街並、如何なる時も秩序を乱さず規律を重んじる東北魂を瞼に刻みたいと、剛の左脳が凄まじい愛着心を刺激したからだった。
ハザードランプを点滅させたタクシーは、杜の都仙台の青葉通り、ケヤキ並木の定禅寺通り、無尽蔵の物語が刻まれた宮城野萩大通りを、ゆっくり一定の速度で走行した。
剛は瞼を閉じ耳を澄ませた。そして、木々の声や人々のざわめきまでも右脳の余白に書き込んだ。その時、東二番町の交差点で信号待ちするタクシーの横に、マイクロバスに乗る鈴なりの園児の顔が並んだ。
「頑張れよ! 負けるなよ!」
「笑顔を忘れるなよ!」
剛はその光景を遠くから父親のような慈悲の心で見守り続けた。
午前十時、剛は東北沿岸部に黙祷を捧げ、惜別の時を向えた。仙台市出身ピアニスト・榊原光裕作曲の発車メロディが数多の旋律を奏で
「さようなら…・ ありがとう…・…!」
「御苦労様でした! お元気で…・…」と、
そのハーモニは剛を最終章の舞台へ送りだした。
新幹線の周期的な心地よい振動の所為だろうか、それとも、日々の睡寝不足の影響か、脳細胞は精神的重圧から解放されたかのように、白石駅を通過する頃には、剛の無意識の中の意識は悠久の半世紀の夢路を辿っていた。
それは、剛の人生航路が絵巻物のように繰り広げられていく様相を帯びていた。
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