第1章

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言いながら平安は、自分を押し返す俺の手を掴むと手のひらに口付けた。 「こ、こら!」 こちらの主張などお構いなしに、奴は俺の手のひらに舌を這わせ始める。…普通なら気持ち悪いと振り払うような動作だが、平安のこの行為はその先をどうしても連想させた。 「おい…って!」 振り払いたい。が、それが平安自身への拒絶と取られるのではないかという不安が忍び込むと、それがどうしてもできない。おまけに舌が手のひらの上を蠢くたび、背筋をえもいわれぬ衝撃が駆け抜けていく。 俺のその反応をわかっているのだろう、平安は今度は指の付け根一カ所一カ所に舌を這わせ、一本一本指先を吸い上げ始めた。ちらちらと見える舌先、吸い上げられる感覚、軽く当たる歯の感触。艶かしいそれらに思わず息を詰める。さっき言われた、「そういうムードに持っていけばいい」という言葉が思い出された。 …それはそうだ。そういうムードになれば、俺は恐らく彼を拒むことはできない。そして今、恐ろしいことに、俺は確かにそういう気分になりつつあった。 平安はゆっくりと俺の手首に歯を立て、裏返して手の甲を強く吸い上げる。男のゴツゴツした手に対する動きでなければ、された女はその誘いを断れるだろうかと疑念を感じるくらい艶かしい動作だった。 …問題なのは、それをされているのが男の、平安より体格のがっしりした俺だということ、そしてそれに、俺自身が流されつつあるという事だ。 ちゅう、と高い音がして、耳まで熱くなる。そのまま上目遣いに俺を見やった平安は、勝った、と言わんばかりの表情で、にぃっと笑い、それからひどく熱のこもった低い声で、吐息を俺の手の甲に吹きかけながら囁いた。 「なぁ…シよ?」 「………っ」 俺は視線をそらし、テーブルに置いたままのコーヒーを見つめる。黒い液体はまだ湯気を立てていて、淹れてからさほど時間が経っていないことを思い知った。 …今までの一連の俺の動揺は何だったのか。 じっと俺を見上げている平安へ視線を戻し、俺は彼に返事をするべく、深呼吸をした。
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