二十 バイオロイド

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二十 バイオロイド

(二〇八〇年十二月二十一日、土曜、ティカル十七時)  シベリアに円盤型小型偵察艦が現れて三十三時間後。  静止衛星軌道上、宇宙戦艦〈ホイヘンス〉で、ホイヘンスは球状の防御エネルギーフィールドに包まれて、戦艦〈ホイヘンス〉の上部ブリッジに居た。ブリッジの透明なドーム越しに、白い円盤型小型偵察艦が接近するのが見える。  ニオブのへリオス艦隊とプロミドンを見つけて、居留可能な惑星をテラフォーミングしても、所詮、人工の環境だ。バンコクにあるような熱帯雨林は創造できない・・・。  地上のトムソを攻撃する意義は地上の支配だけか・・・。  未分化細胞で体細胞と神経細胞が若返っても、分子記憶から老いの焦燥感と虚しさは残る。子孫が存在しない限り、直接的に一族として受け継ぐべき精神的時空列は構成されない。受け継がれるべきエネルギー交代も存在しない。個人的満足を得るのみで、子孫へ伝播される精神的満足は得られない・・・。  やはり子孫を残すべきだ。子孫を残そう。まだ生殖能力はゼロではない。コーリーに、私たちの子供を産んでもらおう・・・。  ホイヘンスは左手で顎を撫で、腕を組むように右手で左肘を掴んだ。気密防護スーツの上から肘にある何かが触れた。スーツを着る時、何か紛れこんだのだろう・・・。  ホイヘンスはそれが何か気にしなかった。 「何、見てるの?」  コーリーの声でホイヘンスは振り返った。  白い気密防護スーツに身を包んだコーリーが、防御エネルギーフィールドに包まれて、0・4Gの人工重力場に満たされたブリッジを跳ねるように近づいてくる。 「偵察艦を見てる。パラボーラは攻撃しないようだ」  透明なドーム越しに、戦艦〈ホイヘンス〉の中央下部に白い円盤型小型偵察艦が接近して、艦体外壁が上下左右にスライドするのが見える。その様子は3D映像でブリッジに投映されている。接艦した白い偵察艦は、ゆっくり、戦艦〈ホイヘンス〉の中央下部内部へ入った。  3D映像が外部空間から格納庫に変った。円盤型小型偵察艦は格納庫内を静かに移動して、係留されているもう一隻の円盤型小型偵察艦の隣りに静かに着艦した。  また、ブリッジの空間に、静止衛星軌道上に位置するパラボーラの3D映像も現れている。パラボーラと同じ静止衛星軌道上に残してきた、微小衛星にカモフラージュした七個のモーザからの映像だ。今のところ、パラボーラがこちらに向きを変える様子はない。 「二隻が無事に戻ったわね・・・。何事も無くて一安心ね」  格納庫の3D映像を見て、コーリーが安堵している。  ブリッジの透明なドームの隅に月が現れた。  戦艦〈ホイヘンス〉は地球上空三万六千キロメートルの静止衛星軌道上から三十万キロメートル余りを航行して月に接近している。  もうすぐ、月の北極に近い、月の裏側に着陸する。地球を監視するのに北極に近い月の裏側は何かと便利だ・・・。 「着陸まで五時間あるわ。あなたの考えはわかってる。部屋に戻りましょう」  コーリーはホイヘンスに近寄った。二人の球状防御エネルギーフィールドが融合して一体化した。コーリーはブリッジの透明なドーム越しに外部空間を見ながら、ホイヘンスの腕を取った。指に指を絡ませている。 「アンナ、後はお願い。皆を指揮してね」 「了解しました」  アンナ・バルマーがコーリーに笑顔を見せた。アンナは他より大きい球状防御エネルギーフィールドに包まれたコントロールポッドに居る。 「部屋へ運んでくれ」  二人の立つ床が円形に分離して浮き上がった。防御エネルギーフィールドに包まれた二人は浮遊して、床に現れたエネルギーフィールドと同径の空間へ急速降下した。  一時間後。  コーリーとベッドで愛し合うホイヘンスの自室で、淡くグリーンとブルーに明滅していた天井のモーザがイエローに明滅して、月面と戦艦〈ホイヘンス〉の3D映像が室内に現れた。微小衛星を模した五個のモーザが、事前に月の周回軌道へ送りこまれている。それらが捕捉した月面と戦艦〈ホイヘンス〉の3D映像だ。  戦艦〈ホイヘンス〉はゆっくり月の北極に近づいて、月の裏側へ移動している。戦艦〈ホイヘンス〉の下に太陽光の陰になった月面が見える。地球に面した月面と異なり、クレーターが多い。月の山脈がクレーターに陰を作っている。  天井のモーザが激しくスカーレットに明滅した。三つの巨大なクレーターで何かが蠢いている。 「緊急警告!艦体がビームロックされた!  艦体を緊急位相反転シールドした!」  その瞬間、三つのクレーターから、多数のレーザーパルスと粒子粒子ビームパルスが放たれた。月から最短距離にある静止衛星軌道上のパラボーラが陽子ビームを放った。  モーザがスカーレットからオレンジに変った。 「月面からレーザーパルス攻撃。  粒子ビームパルス攻撃。  パラボーラから陽子ビーム攻撃」 〈ホイヘンス〉が被弾して、鈍い音が室内に響いた。 「月面の二箇所から、 〈V1〉のレーザーパルススペクトル確認。 〈V1〉の粒子ビームパルススペクトル確認。  月面の一箇所から、 〈スゥープナ〉のレーザパルススペクトル確認 〈スゥープナ〉の粒子ビームパルススペクトル確認。  静止衛星軌道のパラボーラの陽子ビームスペクトル確認。  艦体損傷0パーセント」  コーリーとベッドで愛し合うホイヘンスの動きが緩慢になった。  なぜ、トムソの〈V1〉と、奪われた〈スゥープナ〉が月面に居るのだ?  なぜ、パラボーラはソーラービームで攻撃しない?  もしかすると・・・。 「 ねえ・・・、大丈夫なんでしょう・・・」  コーリーは背をホイヘンスに擦りつけている。 「ああ、心配ないよ・・・」 「あなたの思いはわかってる。私も同じだから・・・。  ねっ、しばらくこのままでいて・・・。きっと、子供ができる」  コーリーは顔を右に向けて、ホイヘンスに笑みの溢れた横顔を見せた。 「コーリー・・・」  ホイヘンスはコーリーの横顔に言った。  俯せのまま、コーリーの横顔が優しく囁く。 「なあに?」 「愛してる・・・」  ホイヘンスはゆっくりコーリーの肩から背を撫でた。コーリーの私への信頼は何があっても揺るがない。私はこの女の本質を信頼している。愛情はまさにこれだ。好き嫌いではない。なぜ今まで、コーリーに対する私の気持ちに気づかなかったのだろう・・・。  ホイヘンスはコーリーの首筋に唇を触れた。 「あたしも・・・」  コーリーがホイヘンスから、愛してると聞くのは初めてだった。好きだと何度も言われているが、愛してると言われたことがなかった。今になって、なぜこんなことを言うのか聞きたかったが、コーリーは訊かなかった。これまで、ホイヘンスがコーリーを粗末に扱ったことはない。他の者たちより大切にされ、妻として愛されているのが態度に表れていた。それだけで、充分、愛されていると確認できたからだ。 「愛してるんだ・・・」  コーリーの背にホイヘンスが身体を密着させた。コーリーの左腕にホイヘンスの肘が当たった。コーリーの左腕を、ホイヘンスの肘の何かが引っ掻いた。コーリーは顔の向きを変えて、ホイヘンスの左腕を見た。ホイヘンスの肘に、小指の先ほどの瘡蓋のような透き通った物が見えた。  上部ブリッジで、モーザがスカーレットとオレンジに明滅した。ブリッジの空間に、月面クレーターの艦艇の3D映像が現れている。  モーザが警告する。 「艦体がミサイルロックされた。  多重位相反転シールドを構成する。  シールド間隙からレーザーパルスでミサイルを迎撃する。  全員、爆破衝撃に備えろ」  モーザの警告で、艦内全クルーのコントロールポッドが球状防御エネルギーフィールドに包まれた。攻撃による衝撃を防御エネルギーフィールドで対応できない可能性がある。ため、コントロールポッドのシートは特殊耐衝撃エラストマーで構成されている。 「ミサイルが発射された」  モーザが伝えると同時に、3D映像に、クレーターの艦艇から放たれた多数のミサイルが現れた。 「来るよ!」  アンナが叫ぶと鈍い音が響いて、ブリッジが振動した。 「モーザ、損傷は?」  モーザがオレンジに明滅して答える。 「艦体損傷0パーセント。  ミサイルの爆発衝撃で着陸軌道が月の周回軌道に変異した」 「キム、軌道を映して!」  ブリッジのミサイル攻撃3D映像の隣りに、戦艦〈ホイヘンス〉の軌道3D映像が現れた。月の北極の裏側へ向っていた戦艦〈ホイヘンス〉の軌道が、月を焦点にした楕円軌道に変化して月の北極上空から逸れている。 「軌道修正せずにこのまま慣性航行するよ。いいね」  アンナは軌道映像を見ながらモーザとキムに伝えた。 「わかりました・・・」  キムは不審なまま了解した。 「キム、疑問なら訊いていいんだ。バイオロイドも我々と同じさ。子供だって生めるんだから・・・」  アンナはコントロールポッドのバーチャルディスプレイに格納庫を映した。警備員とその家族の搬送は完了している。格納庫に係留した二隻の偵察艦に被害はない。 「なぜ、軌道修正しないんですか?」 「まだ、こっちの体勢が整ってないんだ。今は戦わないよ。理由は・・・」  トムソの〈V1〉の機能はニオブの偵察艦のレプリカで、装備はこの戦艦〈ホイヘンス〉と互角だ。それらは、ギアナ高地のテーブルマウンテンで戦艦〈ホイヘンス〉が攻撃を受けた際に確認している。  仮に、戦艦〈ホイヘンス〉が多重位相反転シールドを張って、月面のトムソの艦艇をビーム兵器と対艦ミサイルで攻撃すれば、トムソの艦艇も多重位相反転シールドを張って応戦する。  だが、それには限度がある。多重位相反転シールドを張った艦体が、一挙に大量の対艦ミサイルやビーム兵器で攻撃されれば、艦体全体がシールドごと大衝撃を受けて、大量のクッション材で包んだ陶器を高高度から落下させるように、艦体が原形を留めたままクルー自体が一方向へ大クラッシュする。それは戦艦〈ホイヘンス〉もトムソの艦艇も同じだ。  現時点では、大量のミサイルをレーザーパルスと粒子ビームパルスで迎撃して、陽子ビーム攻撃を無効にするため、多重位相反転シールドを張って互いに距離を置き、攻撃のタイムラグを稼ぐしかない。  説明を終えてアンナは戦艦〈ホイヘンス〉の軌道3D映像に視線を戻した。 「月の南極側に着陸するよ。トムソに気づかれずに南極へ向うよう指示して」 「わかりました・・・」  キムは身体に接続したシートのケーブルを通じて、思考を戦艦〈ホイヘンス〉のコントロールシステムへ送った。 「もう一つ訊いていいですか?」とキム。 「いいよ・・・」 「あたしも子供を生めるって、どういうことです?」 「人間と同じさ・・・」  アンナはキムに視線を移した。 「つまり、バイオロイドは人が作った人間なのさ・・・」  バイオロイドも人間と変らない。自然発生的に胚から個体が成長したか、あるいは、個体の成長過程が胚からではなく(胚からの場合もあるが)、固体を構成する人工胚の有機高分子組織が他から与えられたかによる違いしかない。後者の場合も、人為的に遺伝子DNAが配偶子によって与えられている。  いずれも、記憶情報は両者とも外部から与えられて、記憶はみずからが神経細胞組織を成長させて自己が成さねばならない。  ヒトゲノムDNAには、未解明のエクソンとテロメアがあるため、無作為に選んだ人のエクソンとテロメアがバイオロイドの遺伝子や配偶子に使われている。  つまり、バイオロイドはクローンに近い存在と言えるが、厳密に言えば、クローンではない。人である。発生過程によって、バイオロイドは人ではないと区別されているが、実際の機能は人そのものだ。 「なら、これは・・・」  キムはシートから腰に接続したケーブルを示した。 「脊髄神経繊維を通じて、思考を直接、戦艦〈ホイヘンス〉のコントロールシステムへ送ってるだけさ。我々にもあるんだよ。ここに」  アンナはバーチャルディスプレイを見ながらこめかみを指さして説明する。 「だけど、我々人間は、まだ、生きたディスプレイには成れないんだ・・・」  アンナたち警備員のこみかみに、思考を変換して発信するナノコンピューターシステムが埋めこまれてる。稼動エネルギーは体内微弱電流や外部からのマイクロ波で、自分で自由にオン、オフできる。アンナたちの誰かがこのシステム使えば、全員のシステムが自動的にオンになる。そうなると、いつも身近に誰かが居て話しかけたり見ているのと同じだ。警備員一人一人の自由な時間が無くなるため、このシステムは緊急時しか使わない。  従って戦艦〈ホイヘンス〉をコントロールするのに、コントロールポッドや思考記憶センサー内蔵ヘルメットで思考記憶管理システムを使うか、コントロールポッドのバーチャルディスプレイで直接アクスするか、言語をモーザに伝えるか、キムたちバイオロイドに依頼するかなのである。 「だけど、我々だって進化する。そのうちこれを使ってシステムにアクセスし、こんな映像は不要になるさ・・・」  アンナはこめかみを指さして、ブリッジの3D映像やバーチャルディスプレイを目で示した。 「話を元に戻すよ。キムたちは人間だよ。あたしはそう思ってる」 「・・・」  アンナの説明に、キムは何も答えない。 「キム。トムソがどうやって月面に着陸したか、波動残渣を調べてくれ」 「・・・」 「キム。キム!」 「えっ?ああ、調べます。ブリッジに3D映像化します」  キムはコントロールシステムに指示を与えた。バイオロイドは人間だと説明されてキムは動揺している。  トムソの三隻の波動残渣が映像化されて、ブリッジ内に、地球の南極から月の裏側を回って月の北極へ延びる3D映像が現れた。 「くそ、我々と同じ考えだ・・・。なぜ、トムソが月面に居るんだ?」 「話していいですか?」  キムの隣のコントロールポッドで、バイオロイドのマリが申し訳なさそうに口を挟んだ。 「ああ、いいよ・・・」  考えを中断されたが、アンナは不快に思わなかった。今さら、トムソが月面に居る理由が分っても、邪魔者が月面に居るのは変らない。 「トムソは、あのクレーターに戦艦〈ホイヘンス〉を着陸させたくないんだと思います。  理由は、クレーターの下にヘリオス艦隊があるからだと思います・・・」  そう話して、マリは気まずそうな顔をした。 「マリ!マリは、なんて賢いんだ!」  アンナはコントロールポッドから飛び出してマリを抱きしめた。 「確かにそれだ!月の衛星になって、しばらく様子を見るよ!」  マリの顔が、今までにない明るい顔になった。 「わかりました!」  コントロールポッドのバイオロイドがいっせいに答えた。 「モーザ、この事を総裁に知らせてくれ!」  滞空しているモーザがイエローグリーンに明滅した。
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