二 精神生命体マリオンとの誓約

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二 精神生命体マリオンとの誓約

 二〇二三年、六月十日、土曜、十時過ぎ。  I市N区に田村省吾の家がある。家の東に林があり、梢に烏の巣がある。日々、鳴き声がするが、今日は特に朝から鳴き声がうるさい。  省吾は東窓に接した机から外を見た。  二軒先の林に近い赤茶色の屋根に、小さな烏が二羽いる。近くの電柱に大きな烏が二羽いて、赤茶色の屋根の二羽にむかって大声で鳴いている。親烏だろう。  電柱から親烏の一羽が西へ飛び、三十メートルほど離れた焦げ茶色の屋根に舞い降りた。  すぐさま赤茶色の屋根から、子烏が焦げ茶色の屋根へ飛んだが、もう一羽の子烏はいっこうに飛ぶ気配がない。  電柱の上に残った、もう一羽の親烏が大声で鳴いても、子烏は何度も首を傾け、電柱の上にむかって文句をいうように小さな声で鳴きながら屋根の上を歩きまわっている。それが一時間ほど続いた。  ほとほと嫌になったらしく、電柱の親烏は鳴くのをやめ、焦げ茶色の屋根へ飛んだ。  焦げ茶色の屋根にいた大小二羽の烏は、すでにその先の大きな紺色の屋根へ飛び去り、そこにいない。  焦げ茶の屋根へ飛んだ親烏が鳴いても、赤茶色の屋根の子烏は首を傾けて小さく喚くように鳴きながら屋根を歩きまわるだけで、いっこうに焦げ茶色の屋根へ飛ばない。  焦げ茶色の屋根にいる親烏が、ふたたび赤茶色の屋根の近くの電柱に舞い戻った。赤茶色の屋根の子烏にむかって叱りつけるように大声で鳴きつづけ、焦げ茶色の屋根へ飛ぶと、赤茶色の屋根の子烏は、屋根を走って勢いをつけて羽ばたき、屋根から転げ落ちるようにして飛んだ。  烏が子供に飛行訓練してる。烏の世界でも駄々をこねて、訓練や学習を嫌うのがいるんだ。どこの世界も同じだな・・・。  省吾がそう思っていると、一羽の烏が近くの電柱に飛んできた。いつのまにか降りだした小雨の中でじっとこちらを見て、 『飛行訓練だ。最近の若いのはいっこうに学ぼうとしない。困るぞ』  若い女の声でそういった。  えっ?まさかそんなことがあるはずはない・・・。  そう思いながら、省吾はつぶやくように訊いた。 「あんたの子どもたちか?」 『私の子供ではない。彼らの親はあそこだ』  電柱の烏が二百メートルほど離れた大きな赤茶色の屋根を見た。  屋根の上で二羽の親鳥が鳴き、小さな二羽が親鳥を無視して屋根の上を歩きまわっている。  俺は何を考えてる?親烏が子烏を教育するのはありうるが、烏が話すはずがない・・・。 『省吾。お前は見た目だけで判断している。そこへ行って実体を見せようか?』 「ああ、かまわないよ・・・」  烏が俺の名を知ってる。思念波を使ってる。何かのまちがいだ・・・。  省吾はそう思ったが、なぜか驚かなかった。烏が濡れているのに気づき、 「雨に濡れてるから、タオルを持ってくる」  省吾の部屋は二階だ。電柱が見える東側の窓辺に机があり、烏の出入りにじゃまだった。  省吾は階下の脱衣所の棚からバスタオルを持ってきて、南の窓を開き、東の窓から電柱を見た。烏がいない。やはり妄想か・・・。  南の窓を閉じようとすると、芳しい香りがして背後に熱さを感じた。 『湿気が多いのは気にならないが、雨に濡れるのは困る・・・。タオルを借りるぞ』  ふりかえると、金髪で色白の、緑色の瞳の若い戦士のような女が、バスタオルをとって身体を拭いた。女の左頬に三センチほどの正三角形を成す小さなほくろが三つあった。女は腰がくびれた細身で省吾ほどの身長があり、つなぎ目のない黒いバトルスーツを着ている。腕から脇腹に近い背に飛行膜があり、この膜もスーツに包まれている。  女が省吾の視線に気づいた。少し垂れ眼の大きな眼で省吾を捉え、白い歯を見せて微笑んだ。鼻筋が通った美しい顔だった。 『これか?これは翼だ。お前が思うように、皮膚組織が進化した飛行膜だ。人間を驚かさないよう人間風に変異してる。  お前は私を知っているから、ちょっとだけ実体を見せよう。驚かないでくれ』  女の身長が省吾より高くなった。全身の皮膚は黒光りする突起の多い鎧のようになり、腕から背につながる膜は蝙蝠の翼のようだが、黒光りした強靭そうな外殻で覆われている。顔も硬い突起だらけの鎧のマスクを被ったようで、他にくらべ、額の二本の突起が長い。一見不気味だが眼差しは穏やかだ。省吾に暖かい感情が伝わってきた。  地球外生物だ!危険はなさそうだ。俺のSF作品の登場人物そのままだ・・・。 「驚く姿じゃないよ。戦闘用のスーツだろう」 『過去に悪魔や魔物と恐れられた。省吾がそう言ってくれて私は安心だぞ』  バトルスーツの姿が女の姿にもどった。 「あんたは何者だ?なぜ、烏に変身してる?いつからこの世界にいるんだ?」 『私は、私たちを代表する存在だが、私と言っておく。  私はネオテニー社会、つまり人間社会の管理のため、有史前から存在している。  お前に頼みがある。  お前が注文しているパソコンが今日届く。パソコンに、正義に基づく日記を書け。  プロミドンという、タブレットパソコンのモーザに同調させたエネルギー転換機が、日記のフォルダに書かれた正義を実行する。  実行するのは正義と正義の政治だけだ』  政府閣僚や国会議員の専用タブレットで何かする気だな。洗脳か・・・。 『閣僚や議員のタブレットパソコンは使わない。彼らに直接、正義を指示するのだ』 「俺だけに話すのか?他には話してないのか?」 『日本の古代と言われる過去、フッシに話した。サルタヒコの助力で民主化を進めたが、クラリックに妨害された。  フッシの子孫で八咫烏一族の開祖のアジスキは、正義の実行を理解できずに悩んだ。彼の時代は民主主義の波及前だったからだ。  だが、彼は私たちの主張を彼らの社会の未来として認めた。彼は他の人間が私の姿に驚かぬよう、八咫烏の姿で人里に現れるように提案し、私が彼に精神共棲するのを認めた』 「クラリックって何だ?」 『私たちと同じ種族だが、私たちと敵対し、人間を支配しようとしている。  クラリックは大型の猛禽類や天使の姿で現れ、人の身体を乗っ取るから注意しろ』  省吾は、この地球外生物と考えられる女が何者か、知りたくなった。 「あんたは何という名だ?どこから来た?」 『私の話す事を誰にも話さずに実行する、とウケイするか?』 「ウケイ?」 『古代の言い方だった。誓約するか?』 「約束する」 『省吾が聞きとれるように変換すれば、私の名はマリオンだ・・・。  私たちは有史前に、渦巻銀河メシウスの、アマラス星系の、惑星ロシモントから来た。  私は、ニオブという、ロシモントの一種族だ。ニオブのなかのアーマー階級ジェネラル位の、ヘクトスター系列の精神エネルギーマスで、私は、ヘクトスター系列の精神エネルギーマス総帥のヨーナの娘の、マリオンだ』 「系列って何だ?」 『私たちは精神生命体のニオブだ。実体化も可能だ。精神エネルギーを共有する種の系列同志で同一集合化し、一つの精神エネルギーマスとして存在している。  私は私個人であり、同時に私たち同一系列の精神エネルギー集合体だ・・・。  わかりにくいようだな。簡単に言えば、互いに共有しうる個々人の精神エネルギーがたくさんあり、私がそれらの精神エネルギーの代表者として活動していると思えばいい。  省吾の精神を支える祖先がいるように、私を支える多数の精神エネルギーがあり、それら精神エネルギーは分離して単独でも行動できるが、私がそれらの精神エネルギーの全てを代行していると考えればいいのだ。  私の父ヨーナは、ヘリオス艦隊司令官にして大司令戦艦〈ガヴィオン〉艦長、ヘクトスター系列エネルギーマス総帥だ。  つまり、私の系列は、精神生命体ニオブのアーマー階級ジェネラル位の、ヘリオス艦隊の司令官アーマーで、大司令戦艦〈ガヴィオン〉の艦長アーマーだ。  私たちアーマー階級のニオブの他に、クラリック階級のニオブと、ポーン階級のニオブと、ポーン階級でニオブと異なる種のトトが、この惑星ガイアに来ている。  かつて、私たちニオブとトトが生息した惑星ロシモントは、現在もアマラス星系に属している。当時のアマラス星系は、渦巻銀河メシウスの銀河中心から、ガイアの時間にして、約二万五千光年の距離に位置していたが、現在は約二万光年の距離にある。そのため、現存するロシモントに昔の面影はない。あるのは、砂漠化した赤茶けた大地と、その大地に点在して輝く、いくつもの巨大なエネルギー転換機のプロミドン、こちらでいうピラミッドだけだ。  クラリック階級は、惑星ロシモントの全ニオブとトトを宗教政治で支配し、私たちと対立していた。  ガイアに宗教戦争が絶えなかったのは、この惑星ガイアに来ているクラリックが、人間に意識内侵入して身体を乗っ取り、人間を支配していたからだ』 「故郷の星に住めなくなったのか?」 『そうだ。その事はいずれ説明する機会があるだろう。今は、日記を書く約束を忘れないでくれ』 「なぜ、あんたが日記を書かない?日記にクラリックの消滅を書けばいいじゃないか?」 『我々は、ネオテニーがタブレットパソコンのモーザを介して正義に基づく指令でプロミドンが稼動するよう、プロミドンをプログラムした。  クラリックの消滅を書けば、プロミドンによって全ニオブとトトが消滅し、精神の源泉をニオブとトトに由来する人間の精神が崩壊する。  逆に、我々アーマーとポーンの消滅を書いても、同じ事が起こる。  我々は人間社会の管理者だ。支配者ではない。  人間が地上の管理者となるべき存在なのだ』 「毎日、政治について書くのか?」 『単なる日記なら、要望や希望は正義だけを書け。書かれた正義をプロミドンが実行する。  ただし一度保存した日記は削除も上書きもできない。正義でないものは、お前の身に降りかかる。注意しろ・・・。  書いた日記を訂正する場合、後日の日記で訂正文を書け。過ぎ去っていない出来事は訂正文の内容に変る。  実現前の未来に関する日記は、時系列に従って順序が変る。つまり、一ヶ月後の内容を書いた場合、その文章の前に、一ヶ月間の日記を書けるのだ・・・。  日記を書いて保存を忘れても、モーザが自動保存する。心配しなくていい』 「不正アクセスされないか?」 『モーザは素粒子信号をスキップ(時空間転移伝播)させる装置だ。  今のところ、私たちニオブもトトも、スキップした素粒子信号を感知できない』 「素粒子信号はワープするのか?」 『省吾の定義ならスキップはワープだ。亜空間転移せず、直接、時空間転移する』 「あんたは思考を感知するのか?」 『ニオブとトトの思念波は伝播経路が電磁波や脳波とは異なる。亜空間を転移伝播し、電磁波遮蔽した空間に侵入する・・・。  妙な事を考えるな。侵入するのは思念波だけだぞ。  思念波はレーダーでは感知できない。ニオブとトトは互いの思念波だけでなく人の脳波も電磁波も感知するが、スキップするモーザの素粒子信号をキャッチできない』 「それなら、この家の電磁波遮蔽設備はクラリックに効かない。  クラリックが思念波で俺を支配し、日記を書かせたらどうする?」 『心配ない。このガイアの大陸の地下に、プロミドンを搭載した六隻の偵察艦と、一基のプロミドンが格納されている。  日記のフォルダを開くと、七基のプロミドンが稼動し、パソコンのモーザを中心に半径四十メートルの空間を防御エネルギーフィールドで保護し、日記の指令を実行する。  プロミドンの防御エネルギーフィールドは、クラリックが亜空間スキップに使う亜空間を閉鎖し、全ての亜空間転移ターミナルと亜空間通路を消滅する。  我々はプロミドンによって、自由にこの家の内部に思念波を送れるが、クラリックは不可能になる。モーザが存在する限り、亜空間スキップに使うクラリックの亜空間は閉鎖されたままになる・・・。  クラリックの亜空間の閉鎖は、省吾の概念で説明すれば、高次元ベクトルを低次元ベクトルに変換した場合、減少した次元のベクトルが、0ベクトルに変換されるのに似ている』 「ここにパソコンはない。ここでの話はクラリックに聞かれているかも知れないぞ・・・」 『心配ない。私の思念波が外部から関知できぬように、プロミドンを操作した』 「呪ってもいいのか?罵ってもいいのか?」 『妻への不満か?正義に反する内容は省吾の身に降りかかる。注意してくれ』 「書けない時が続いたらどうする?」 『必ず、正義の政治を書かねばならない時が来る。  今は無理に正義を書かなくてもいいぞ』  突然バスタオルが床に落ちた。マリオンと熱さも香りも消えている。  マリオンはどこへ行った?  省吾は外を見た。窓の外で電柱の烏が翼をふって合図している。 『クラリックは宗教思想に加え、経済思想で支配を進めている。  人間世界をクラリックに支配されてはならない』 『書くよ。あんたと話したい時はどうする?』  省吾は小さく手を振って思念で訊いた。 『私はいつもお前の傍にいるぞ』 『思念波を反映する媒体があるのか?』 『そうだ・・・』
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