神様のお医者さん

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『古事記』とは違い、少彦名命が常世郷に渡った後に、大己貴命は単身で葦原中国の国造りを行っている。 その後は『古事記』と同様に、輝く幸魂奇魂と遭遇する。 その神が大三輪(おおみわ)の神なりとある。 そして最後に少彦名命との出会いのシーンに時を遡る。 初め、大国主が国を平げ、出雲国の五十狹狹(いささ)の小汀(おはま)で飲食しようとした時、海上から人の声がした。 驚いて探したが、どこにも姿が見えない。 しばらくして、「一人の小男(おぐな)が白斂(かがみ)の皮を舟とし、鷦鷯(さざき)の羽を衣として、潮水(うしお)の隨(まにま)に浮かんでやって来た」とあり、『古事記』とは描写が異なる。 そして、大己貴神が掌に取り置きて玩(もてあそ)ぶと、飛び跳ねてその頬を突いた(もしくはかじった)。 そこでその物色(かたち)を奇妙に思い、使を遣わし天神(あまつかみ)に報告した。 すると、高皇産霊尊(たかみむすひ)霊神が、「私が産んだ子は一千五百柱もいるが、その中の一人はとても悪く(わがまま・やんちゃ)て教えに従わなかった。 指の間から漏れ落ちたのが、きっと彼だろう。 宜しく愛でてこれをを養(ひた)せ」と答えたとあり、これが少彦名命であるとしている。 『古事記』と大きく違うのが、カミムスビ(神皇産霊尊)霊神の子でなくタカムスビ(高皇産霊尊)霊神の子となる事と、久延毘古が存在しない事である。 やがて大国主が最後には国譲りに同意した際、黄泉の国を新領とした本当の理由は、最後には結局、少名彦那神への慕情が絶ちきれなかったからかも知れない。 現在では共に黄泉の国に降り立つ彼ら二柱は、きっと再び共に在り、今度は永遠の時を共に過ごしていることだろう。
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