1 九重主任の憂鬱

18/19
前へ
/94ページ
次へ
「なあ、九重。大学の先輩後輩は関係ないし、競合企業であることも関係ない。本当に何があったんだ。月で」  お猪口を呷った高宮が切り出した。それほど酒に強くない九重は、ほのかに酩酊した頭で、すべてを話せたらどんなに楽かと思ったが、すぐにその考えを振り払った。 「ただ緊急性の高い事故が起こっただけですよ。幸い人員に被害は出ませんでした。わたしは現場の状況を知るための出張です。  なんでも、原子炉の冷却系に異常があったとかで。まあ、もう収束はしてますから」  それだけ言って、主任は席を立った。勘定はViReGに表示されたお猪口のリンクから支払う。すぐに領収書のデータが送信されてきた。 「すみません、そろそろ船の時間なので失礼します」   「おう。すまんな、足止めして。まあ、なにか困ったことがあったら連絡くれ」 「はい。では、これで」  次の熱燗を頼んだ高宮に一礼して、足早に主任はその場を後にした。  困ったこと。そう、困ったことならいくらでもあった。月面の工事が停止していること。前代未聞の発見であること。コストがかかっていること。公開すらできない発見であること。  そのすべてが困ったことだった。
/94ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加