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此処までが、夏休みに入って最後に見た教室で、遭遇しただけの話だった。気付けばあの後に、記憶喪失なのか、単なる夢か、自室の布団の上に転がっていた。一瞬、夢だろうと二度寝した。でも枕元に少女が正座していたので、二度寝は不可能であった。
そして、それから夏休みの間夜になれば街を一望出来る、人気もなにも、建物もない山で落ち合う毎日が続いたのだ。相変わらず言葉は伝わらなかったし、なにを言っているのか分からなかったが、缶珈琲片手に山に登っては、少女を見ていた毎日だった。
はっ、はっ、はっ。馬鹿野郎。なんで分からなかった!
昨日初めて少女が喋った。月を眺めている月面色の瞳を、ずっと眺めていたら、瞳が動いて、薄い唇を動かして、愛しそうに微笑んで。
はっ、はっ、はっ、はっ。
今日、夜。缶珈琲と、土産に少女が好んだ缶スープを持って、だらだら山に向かっていれば、山から一筋の粒子が空に広がっていた。
はっ、はっ、はっ。待ってくれ、待ってくれ、待ってくれ!
走っていた。山を走っていた。右手と左手に缶を持ち、藪を抜けて、木を避けて。草木の繁った柵を強引に突破すれば、辺りは月色か虹色かに埋め尽くされていた。足が縺れて、地に胸部を叩き付けた。痛かった、凄く痛かったのか、泣いていた。
っう……、待って……くれ。
輝いてどうにもならない物体の、下部。少女が佇んでいた。左手に、利き手に持って、落とさないようにしていた缶スープを、俯せになったまま、遠い少女に突き出した。届かなかった。
「…………」
月面色の瞳から、粒が散って、目映い物体に身を滑らせると一層、強く、物体の煌めきが視界を塗り潰した。
待ってくれ……まだ、なにも……、なに……。
暗黒だった。左手に持っていた缶スープが、落ちて鳴いている。いや、はんなり泣いていたのは、同じだった。
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