はんなり

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 待て、先ずは左手を下げよう。下げてから、背後に回した。腰に引っ付けるように隠したのは、取り敢えず疚しさ、まあ、友の忘れものだろうか、筆記用具入れを何処かに投擲する気でいたからだった。  友にはすまない事をしそうだったが、なによりも目の前に立っているから、見られたくなかったとか、そんな酷い行為を瞬間に行う者だと思われたくなかったとか、所謂、なにを繕うまでもない下心だ。 えっと、ごめん。名前とか……ある? 「…………」  睨んだ通り日本語では通用しないか……。他に使える言語は持ち合わせがないし、地球で最も使用される英語も、習いはしていても欠片しか使えない。果たして、どのようにして伝えるべきか。 「―――、――――?」 はい?  月面色の瞳を伺っても、分からないものは分からない。なにかを言ったのは分かったが、今までに少しも耳に触れた言語ではない。初めは歌と間違う程に、鼓膜を優しく撫でた。しかし、小首を傾げ、豊満なさざ波を打たせ、色のない透けた手を、輪郭がシャボン玉の光沢を持つ手が動いて、忙しない様を見るに、絶対意思を伝えんとしている。 「――、――……」  唸り、淡白で細やかな両腕を組む動作で確信した。明らかに困っている。言葉を分からなかったりしている相手に、困惑して解決策を練っている。応戦する形になるのかは不明だったが、左手の友の忘れものを床に置き、徐に立ち上がる。  相手の背丈は、旋毛が難なく見下ろせる程度だった。対して、見下ろしていたからと高い背丈に思い当たる節はなかったから、やはり相手が低かった。 えー……、今晩は。  教室の外、窓の向こうには街の山々を黒にして朱が広がっていた。今日はではないと思うし、今晩はが妥当だろう。 「――――?」  忘れていた。伝わらないのだった。どうしたものだろうか。 んー……。 んー……。 んー……。 うん?
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