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ともあれ、一歩踏み出したのには変わらない。
郡山は「頼みます」と笑った。
「それではお先に失礼します。」
「ええ、お気をつけて。」
そう言って亜希を見送る。
(可愛いよなあ。)
――ふわふわの髪に、桜桃のような唇。
リクルートスーツなんてカッチリしているものより、モヘアな素材の服でも着せたらよく似合うに違いない。
(うん、良い……。絶対、似合う。)
郡山がそんな想像をしていると、カラリとドアの開いた音がする。
「……忘れ物ですか? 進藤先生。」
郡山が勢い良く振り向くと、そこには久保が怪訝そうな顔して立っている。
「……あ、久保先生でしたか。」
あからさまに態度の違う郡山にカチンときて、頬が引きつる。
(こいつのどこが『親切』なんだか……。)
久保にとっては、いけすかない後輩だ。
「――何だか、いつになく楽しそうですね。」
皮肉を込めてそう言ってやると、郡山はにんまりとした。
「……ええ。先ほど進藤先生を呑みに誘ったら、二つ返事でオーケーを貰えたんで。」
その言葉にいきなり頭を鈍器で殴られたような感覚に襲われる。
「……呑みに?」
「ええ。今から明日の夜が楽しみなんですよ。」
再び頬の筋肉が引きつる。
(……進藤の奴。)
自分の時はあんなに渋っていたのに、郡山の誘いには二つ返事をしたのかと思うと腹立たしい。
「そうですか……。」
苦い水が喉元まで上がってくる。
久保は仏頂面をして、荷物を手にすると職員室を出る。
溜飲がなかなか下がらない。
仕方なしに、先ほど結んだばかりのネクタイに手を掛けると、するりと解いて胸のポケットに入れた。
一方、その頃、亜希は玄関先で星空を眺めていた。
事務室に寄ると、今朝の無愛想な事務員は帰りもやっぱり無愛想だった。
靴に履きかえて職員用玄関を覗く。
(学校ってなんでこんなに玄関だらけ何だろう。)
外では街灯がぽつん、ぽつんと立っていて足元を照らしている。
日はすっかり沈んで、空には春の大曲線が輝いている。
――あれが、真珠星。
――子ぐま座を通って。
――五月雨星。
ゆっくりと空に弧を描く。
春の夫婦星は二つ並んで優しく輝く。
目を伏せて、まだ少し冷たい春風を頬に感じる。
ガチャガチャと鈍い音に職員玄関の方を見れば、久保が不機嫌そうな顔をしていた。
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