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祐介はおちゃらけるように、握り拳をつくる。祐介に殴られる鞍馬を想像して、杏は思い切り首を振った。
「だめ!義人なぐっちゃだめだよ、なぐったら痛いもの」
「そうだな、そうだ。杏の泣きっ面も可愛いけど、でも今みたく怒って、泣いてるより…俺も笑ってる杏のほうが何万倍も好きだなぁ。あいつが大好きな杏も、きっと笑ってる杏だと思う」
「そうね、ゆうくんの言う通りね。だから、杏今はいっぱい泣いていいわよ。けど、ちゃんと乗り越えて、それで笑顔になって。泣いてばっかりじゃお母さんだって心配だし……。それにほら、くまさんも泣いてる杏を心配してるわよ? 義人くんの代わりなんだもの、きっと泣いてる杏見てたら心配してると思うわ」
力任せに抱きしめていたくまの顔を覗き込む。真っ黒な黒い瞳にぼんやりと泣いている自分がうつっていた。
「くまさん、ごめんね。ぼく、強くなるよ。義人に会えた時に、頑張ったねって言って欲しいもの。だから、義人に会ったときに、くまさん、ぼくのこといっぱい義人にお話してね? ……でも、もうちょっとだけは泣いてても怒らないで」
胸元にくまを引き寄せて、優しく抱きしめる。ふんわりと鼻孔に鞍馬の匂いがくすぐる。
「……大好きだよ」
杏はくまの唇に優しいキスを落とした。
今日の天気は快晴で、洗濯物日和ですねぇとテレビの中にいる女性アナウンサーが言っていた。言う言葉に嘘はなく、アナウンサーの額には汗が浮いている。いつも同じ時間に起きて、いつも同じチャンネルの同じ番組を見て仕事に向かう。
けれど、鞍馬がいなくなってからは一つだけ増えた日課がある。
それはヨシヒト、もといくまさんに挨拶とキスをする事だ。仕事から帰ってきた時も、寝る前の必ずヨシヒトに一日あったことを報告する。義人がくまさんは義人の代わりと言っていたから、名前はそのままヨシヒトになった。お母さんもゆうくんも何も言わなかった。
数年経って、子供らしく丸かった輪郭は心持ちシャープになり、幼さが影を潜めた。ずっと伸び悩んでいた身長も、大学に入ったあたりから伸び始め、なんとか平均身長を上回るまでになった。
柔らかな髪の毛はそのままに、大人になっても色素の薄かった髪色は変わらずだ。
「杏?準備はできた?」
「はーい、もう行くよっ」
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