第1章

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 ヨシヒトの横には文化祭の時に撮った、義人との写真が飾られている。自分の見た目は変わってしまっても、杏の中では義人は高校生の時のままだ。 「ヨシヒト、今日も元気にいってくるね。一日笑顔で頑張ります。もうぼくもきっとちょっとは大人になれたと思うから、きっともうすぐ義人に会えるんじゃないかなって、毎日楽しみにしてます。早く会えたらいいな……。じゃあ、いってきます!」  ヨシヒトの唇にキスを落として、杏は身を翻した。 「お母さん、じゃあ行ってくるね」 「気をつけてね。忘れ物はない? ちゃんと確認した?」 「うん、ちゃんと見たよ。大丈夫。お母さんもお仕事頑張ってね」 「ありがとう。帰る時には連絡してね」 「うん!」    昔よりも少しだけ皺が増えた頬に、杏はキスをする。いつまでも変わらないぽわんとする匂い。いつまで経ってもこの匂いがすると、ムズムズして幸せになる。  いってきますのキスを合図に、杏は家を出た。  家の近くのバス停までは数分。あまり人気の無いバス停は杏一人の事が多い。時間を確認して、遅れていない事に安心する。  お日様が気持ちが良くて自然と口許が綻ぶ。一人でニヤニヤしてはいけないと言われているから、気を引き締めてはいるのだが、ふと気が緩むと周りの幸せを感じて笑顔になってしまう。  今日も良い日になるといいな。お天気も良いし、風も気持ちが良い。  そろそろバスが来るはずだな、と時計を確認する。バスは時間通りに来ない事もある。でも、杏がいつも乗っているバス停は殆ど遅れる事は無い。 「杏ちゃん」  聞き慣れた声、けど、ずっと聞きたかった声が後ろから聞こえる。  振り向かなくても、わかる。頭で考えるよりも先に体が反応する。 大好きな声。大好きな存在。でも、まさか。  肩が、震える。 「杏ちゃん。泣き虫は相変わらず治ってないの?」  あぁ、これは。幻聴でもなんでもない。 胸が、痛い。でもつらくはない。つらさよりも、歓喜の感情が全身を支配する。ずっと、ずっと待っていた。会いたくて、会いたくて会いたくてどうしようもなかった。 「義人……っ!」  焦がれた姿を見る為に、杏はゆっくりと後ろを振り返った。 fin 【後書き】  これにて、水槽完結となります。
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