第1章

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 美智子は今日のお友達と同じ、よくわからないことを言っている。パクパクと動く口が金魚のようで、杏の意識がそちらにうつる。 「他のお友達よりも、ちょっとだけ大きくなるのがゆっくりなの。だから、お友達に何か言われても気にしちゃだめよ」  美智子の目からポタリと涙が落ちる。この間見たアニメに出てきた女の子も、同じように泣いていたなぁと杏の頭にぼんやりと情景が浮かび上がる。自分もよく泣くけれど、大人が泣くのはあまり見ない。美智子も例外ではなく滅多に杏に涙を見せなかった。頬に唇を寄せて舐めてみたら、水と違って少ししょっぱい。見た目は水と変わらないのに。 「お母さん、どこか痛いの?病気?」  美智子は涙を拭きながら「これは違うの、病気じゃないの。お母さんの心が痛いの」と杏を抱きしめた。  ふわんっと美智子の匂いが鼻から体中に充満する。良い匂い。世界で一番好きな匂い。自然と口許が緩む。 「ぼく、心が痛いとき、お母さんに抱っこしてもらうとすぐにポワンってなるんだ。そうするとね、すぐに痛いのがどっかいっちゃうんだよ。お母さんもぼくを抱っこしたらポワンってする?」  肩口に顔を埋めた美智子は、何も返事をしなかった。ただただ、「大好きよ。お母さんは、杏の事が大好き」と繰り返すばかり。だから杏も「ぼくもお母さんのこと大好きだよ」と言った。  美智子の気持ちに応えたかった。そうすると美智子は更に泣き始めて、杏は自分が何かしてしまったのではないかと不安になった。泣いている美智子の頭を、今度は杏が撫でる。早くお母さんの涙が止まったらいいな、と思った。  中学校から高校へ行く時に、杏は先生や美智子から「無理をして行かなくてもいいんだよ」と言われた。けれど、クラスメイトは皆進学すると言っていたし、隣のゆうくんも高校に行くと話していた。だったらきっと楽しい場所なんだろうと思い、自分も行きたいと言った。みんなが一生懸命勉強してまで、行きたがる場所。だったら自分も頑張って勉強して、その場所に行きたい。杏の意見を聞いた二人は、しばらく無言になった後、杏にはよくわからない話をして「じゃあ一緒に頑張っていこうね」と言ってくれた。自分のやりたい事を認めてもらえて、杏の胸はポワンとした。太陽のような笑みで「僕、頑張るね!」と胸を叩く。
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