第1章

98/113
78人が本棚に入れています
本棚に追加
/113ページ
 そんな鞍馬の事をわかっているからこそ、この男が素直に礼を言うのは槍でも降るのではないかと思う程珍しい事だった。  驚いたまま、鞍馬を凝視していると、居心地が悪くなったのか鞍馬が目線を反らしてふてくされたような態度をとった。なんだかそんな態度も可愛く見えてきてしまって、八幡は鞍馬の肩に手を置いて自分に引き寄せると「お前って、そういう奴だよな」とにっこりと笑う。  自分がした失態を理解した鞍馬は、おもむろに顔をしかめて八幡の手を振りほどいた。毛の逆立てた猫のように八幡を置いてズンズンと先に進んで行ってしまった鞍馬に、口許がほころぶ。 「義人!これ楽しそう!」  快活な声が義人にかかる。「ん?」っと甘い声を出して自分を呼ぶ声の元に、少し大きめのストロークで鞍馬が向かう。  その姿を見ながら、八幡はなんとも言えない気持ちになった。  文化祭も終盤に差し掛かり、ラストは校庭での集団ダンスで締めとなる。この日の為に杏は鞍馬を練習台に相当な努力を重ねて、とても簡単なダンスを覚えた。男女ペアで踊るのが常だが、杏が指名してのはもちろん鞍馬で、それを聞いた八幡は「俺相手いねーじゃん」と随分とふてくされていた。  最終的に八幡はクラスの女子を誘って約束をこじつけたらしい。基本的にもてる男なので、声をかければ相手がいないという事態にはなりようがなかった。  杏は最初からずっとテンションが上がりっぱなしで、三人で文化祭を見ている最中も鞍馬と二人、というよりかは三人で何かをしたがった。食べ物を買うにも、演劇を見に行くにも絶対に八幡も誘っていた。  もちろん八幡が杏からのお誘いを断るわけもなく、ほぼ全てにおいて三人で行動する事になった。それに関しては鞍馬としてはかなり不満足だったが、杏が楽しそうにしていたので溜飲を下げた。  演劇を見に行った時に杏は随分と興奮していて、終わった時にははちきれんばかりの拍手を送っていた。特に同じクラスメイトである女子が目についたのか、その子の名前を叫んで「綺麗だったよー!!」と大声をあげた時には、周りの視線が一斉に杏に注目した。女の子は一瞬目を見開いて動揺していたようだが、杏が純粋な気持ちで賞賛をおくってくれている事がわかって、笑顔で手をふりかえしていた。  気がついてもらえた事が杏は嬉しくて、飛び跳ねて喜び「僕ってわかってくれたよ!」と嬉しそうに二人に報告した。
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!