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第3章
俺も小学4年生になった。
新たに弟もでき、名前を大介という。
もう、夜中の「面倒見」もなくなり、麻耶が女の子らしく、弟の大介の面倒をよく見ていた。
だが、小学4年生にもなると、世の中が少しずつわかってきた。
俺は「石井」という名字だったが、妹夫婦、麻耶、大介は「佐藤」という名字だった。
学校で書く作文であったり、学校に提出する書類を書くときなど、親兄弟などの名前を書く機会が増えた。
俺は名字が違うことは、さほど気にしてはいなかったが、学校の友達からは、なぜ親と名字が違うのかと、質問されることが増えていった。
こうなってくると、説明するのが面倒くさい。
説明しようにも、大人の事情というやつである。
説明できるだけの、知識も言葉も知らない小学4年生である。
この頃から、自分では明るい子であったと思うが、色々と考えるようになった。
「なぜ皆と名字が違うのか」
「なぜ、妹夫婦は麻耶、大介を可愛がるのか」
「なぜ母親は、妹の愛子だけ連れていなくなったのか」
もうこうなると、学校で名字について質問されるのが嫌になり、学校に行きたくなくなった。
そして小学4年生にして、学校をサボるようになる。
当然、妹夫婦に連絡がいき、俺が学校に来てないことなど、すぐにバレる。
だが、妹夫婦に名字に関することは、禁句のような気がして、学校をサボった理由など上手く説明できない。
そして今までの鬱憤からか、家にいることさえ嫌になり、家出をするようになる。
だが反面、家出の理由は、「名字が妹夫婦と同じな麻耶、大介だけ見ないで、俺のことも見てくれ」という、心配をして欲しいという、俺なりの理由があった。
小学4年生など、平日に友達の家に泊まれる訳もなく、野宿で過ごし、最初は1日ぐらいで補導され、家に帰された。
妹夫婦も捜索願を警察に出していたり、心配してくれてるのがわかり、嬉しかった。
だが何日かすると、また俺に注目して欲しくなり、家出をした。
補導されては同じ理由で、また家出を繰り返しているうちに、妹夫婦はついに捜索願も出さなくなった。
捜索願を出さないということは、もう俺には興味がないものだと解釈し、俺からも妹夫婦に、もういい印象を持つことをやめた。
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