序の章

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2019年 3月16日 13:16 埼玉県 シルバーセンター内 中庭 80代の男が、同じく80代の女が乗った車椅子を押している。 春の暖かい光を背中に浴びながら、男はゆっくりと中庭を歩く。 「ほんと、あなたとこれまで生きて来れて良かったわ。ごめんなさいね……こんな足になっちゃって」 女は男の顔を見上げながら、皺が深く刻まれた手で自分の足を指差す。 「何を言ってるんだ。頑固者だった僕が仕事に集中出来たのも、君が家の事を全部してくれたからだよ? これからは僕が足になる。だから、君は何もしなくていい」 男は銀縁の眼鏡を上げながら、嬉しそうに呟いた。 「ありがとう……。 もうすぐ春ね……。桜の蕾も膨らんできてる……」 「そうだな、4月に子供達が旅行へ連れて行ってくれるそうだから、それまでに体調悪くしないようにしなきゃな」 男は車椅子を押しながら、桜の木の下にあるベンチに腰掛けた。
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