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「それでも私が語るのはたったひとつだけ」
これから君は、何度も何度も後悔して。
何度も何度も傷ついて。
何度も何度も泣くだろう。
ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を繰り返しながら一息に言い切った老人は、彼女を見て微笑む。
「でもね。いつかその一つ一つが熱を持って、やがて手放しがたい宝物になるから」
だから、なにも知らずに帰りなさい。
「延命治療を拒否していたのはね、もう十分だったから。今まで生きてきたんだ、もう思い残すことなんかなにもない」
ピー、ピー、と老人に繋がれた機械が音を発し始めた。
「今を、全力で生きなさい」
そう言って、最後の力を振り絞るかのように、彼女は笑って言った。
「―――私は、ちゃんと幸せだよ」
その言葉を最後に、老人の身体から熱が失われていく。
我知らず、少女の瞳から大粒の滴が零れた。
それがクワガタの身体に触れた瞬間、視界いっぱいに見慣れた風景が広がる。
戻ってきたんだ、と思った直後、未来の自分の言葉が脳裏を過ぎった。
―――やがて、手放しがたい宝物になるから。
―――今を、全力で生きなさい。
青い蒼い空を見つめながら、少女は固く手のひらを握り締めた。
わかったよ、と呟きながら。
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