第六章

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 入江にとって、思いもよらない言葉だった。そんなはずがない。いつも通り自分は絵を描いたはずだ。 『君の持ち味だった色彩の鮮やかさがなくなってしまったように思う。こう言ってはなんだが、ありきたりだ。君は自分でそう思わないかね?』  そう聞かれて、入江は言葉に詰まった。まさか、自分には色が認識できない、などと言えるわけがない。そんな状態で絵を描いたなどと。 『非常に残念だよ。……これは私の邪推だが、誰かに絵を任せたりしていないかい?』  今度こそ入江は黙った。高瀬に色の調整を任せていたことが、裏目に出た。そこに高瀬の「意思」が加わり、入江自身の色ではなくなってしまっていた。そのことに、いままで気付かなかった。入江は手のひらを握り締めた。 「……そんなことは、ありません。あれは、俺の、絵です」  本当のことは言えなかった。北村は「そうかい」と一言言うと、打って変わって明るい声を出した。 『いや、一時的なものだと信じているよ』  入江は何も答えられない。そんな彼の反応に、北村は丁寧に今回の個展の礼を述べると、電話を切ってしまった。入江は受話器を持ったままの右手を力なく下した。 「先生」  そこへ、思いもよらない声がかけられた。入江の身体が驚きで揺れる。振り返ると、そこには高瀬が立っていた。 「どうして君が……。学校は……?」 「午後の授業が休講になって……、それで……」  高瀬はさっきまでの電話のやり取りを聞いていた。初めは誰と何を話しているのかわからなかったが、入江の言葉で直感した。「絵が半分売れ残った」、そして、「あれは、俺の、絵です」と言う入江の背中を見ながら、高瀬の心は実体のない罪悪感に蝕まれていった。個展の絵が売れ残ったことが、まずわかった。そのあとに、自分が入江の制作の手伝いをしたことがマズかったのだと、高瀬は悟った。
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