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先にトイレに入ってしまった母親にも気付かず、静かにその場で立ち尽くした。
『引っ越しすんのよ』
彼女も辛いのだろうか。
普段弱さを欠片も見せない彼女の目に、光るものが見えた。
少女は、訳が分からないといった表情で呆然としている。
『渚?何してんの、そんな所で』
トイレから出てきた母親の声で我に還る。
言葉に出来ない感情が、小学二年生の幼心を覆った。
親しい人と離れるのは、初めての経験。
しかも、直前まで知らず、心の準備も出来ていない。
『母さん…イツたち……引っ越すの………?』
母親は驚く。
直前になるまで、息子達には知らせない予定だったのに。
それを、何故自分の息子は知っている?
『何で?イックンがそう言ったの?』
『いま…ミチ達が話してるんが聞こえた…。
なぁ、母さん。オレ……』
母親は納得した。
そして、あの女…と半ば呆れながら、息子の背中を押す。
『そんなのアノヒトの冗談かもしれないでしょう。
それから、人様の話を盗み聞きするんじゃありません。
ホラ、あんたも浴衣着るよ。行った行った!』
渚の『でも』や『だけど』は能天気な言葉に掻き消され、不満を感じつつも、ひとりリビングで待つ少年の元へ戻った。
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