第1章 尻

2/4
前へ
/11ページ
次へ
尻 1  目の前に尻がある。  それは決して悪い眺めではない。  とはいえ、こうも長い間眺めるというのは、いかがなものだろうか。  眺めるだけで、擦ることも出来なければ叩くこともできない。  なんのための尻なのか。 「ちょっと、何じろじろ見ているのよ」  そういう視線で俺をにらむな。  こっちだって好きでこうしているわけじゃない。  いや、むしろほとほと困り果てているといって過言ではない。  俺は思う。  目の前に、出来れば触ったり、なでたりしたいようなものを、ずっと見せ付けられるのと、近寄りたくもないようなものをずっと見せられるのでは、どっちがより苦痛なのだろうかと。  そして、つくづく思う。  ありふれた日常など見飽きたと思っていた自分は、なんと浅はかなことかと自戒する。  それは後悔といってもいいかもしれない。  いや、むしろ懺悔をしたい気分だ。  気分だけを語れば、そういう気分だが「本心か」と聞かれれば、俺は考える。  考えてしまう。  なぜ、こんなことになったのかと。  なぜ、お腹が減るのかと。  人間、どんなときでも腹は空くものなのか。  少なくとも以前の俺は、そんなふうには考えていなかった。  思ってもみなかった。  俺はこれでも神経質で、枕が替わると眠れない性質だ。  靴は右足から履かないと気がすまないし、ズボンの右のポケットにはハンカチ、左には鍵と決めている。  高いところは嫌いだし、地下鉄はもっと嫌いだ。  そういうことがきちんとしていないと食事も喉を通らない。  それが俺だと思っていた。  それが自分だと思っていた。  だが俺は今、それらの条件よりも、さらにひどい状態にあるというのに腹を空かしている。  腹をすかし、女の尻に欲情している。 つづく
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加