宝石少女と男子高校生

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「すみません、急いでいるので」 先述した通り、時間に余裕をもって家を出発している和樹にとって、これといって急ぐ理由など当然ない。 しかし、目の前のおそらく不審者であろう老人から逃れるためには、こう言う他はなかった。 和樹は自転車で、老人はその足。しかも重たそうなアタッシュケースを抱えている。 通常であれば、自転車を運転している和樹が逃げ切れる。和樹自身もそう思っていた。思っていたのだが、1分ほど全力疾走した後に振り返ってみると、追いかけてきているのだ。アタッシュケースを両腕で抱えたまま、全力で駆けてくる先ほどの老人が。 普通ではあり得ない光景だった。過去に何か陸上競技等のスポーツをやっていたにしても、あの年齢でここまでの速さ、持久力があるはずがないのだ。 そう考えている間にも、老人はぐんぐんと速度を上げていき、ましてや和樹の運転する自転車までも追い越した。 そして、数メートル前で老人は急停止し、和樹の方へと振り向く。そして再び、右腕を前へと伸ばすと、息切れもしていないその口から「指輪、買わんかね」とこれまた先ほどと同様の言葉を投げ掛けた。 何故、そうまでして指輪を売ろうとするのか。この老人の真意は一体何であるのか。そのどちらも和樹には分からないままであったが、超人的な走りを目の当たりにした驚きか、または現実ではあり得ないことへの恐怖感であったのか。和樹の足は再び止まっていた。 「俺、そんなもの買えるようなお金は持ち合わせてないので、買えませんよ」 全力疾走後であるのと、先刻の事象による呼吸の乱れを整えながら、和樹は目の前の老人に対して、逃げではなく会話の選択肢を選んだ。逃げたとして、すぐに追いつき追い越されるであろう予測がついたからだ。 和樹が指輪を買えないと分かれば、しつこく付きまとうような真似はしないだろう。そう考えていたが老人から発せられたのは、これまた予想もしない言葉だった。 「500円でよか」
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