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「ちょっと先輩何してんすかぁ~。決勝戦始まっちまいますよ」
大きな声で叫ぶと早く早くと急かして彼を連れていってしまう。
待って、と言いかけてぴょんと水道場の縁から飛び下りると、その衝撃で両膝の傷が疼いた。
声にならない痛みにへなへなとその場にへたりこむと、涙でにじんだその向こうに消える彼は一度もこちらを振向くことはなかった。
その後クラスメートに発見され、深雪が支えられながら格技場へ辿り着く頃には、決勝戦は始まっていて圧倒的な強さでさっきの少年が勝ちを攫っていくところしか見れなかった。
だが、その一瞬に目を奪われた深雪は思わず他校の選手である彼に駆け寄りたい衝動に駆られた。
あんなに強い人に。あんなにすごい人に。
自分はなりたい。近付きたい。
そんな思いが一気に胸の奥に膨らんで弾けた。
「すご…い」
心の奥にぽっと灯った一筋の火。
たくさんのギャラリーの中の一人でしかない自分にもどかしさを感じながらも、ただその時は彼の勇姿に見とれることしかできなかった。
名前も、お礼さえも忘れていたことに気が付くのは、深雪が友人に連れられてむりやり保健室に連れていかれた後だった。
そのあともエリザベスのことについて職員室で質問攻めにあったり、心配してくれたクラスメートに捕まっていちいちことの起こりを最初から話さなくてはいけなかったりで気が付いた時には他校の人々は既に学校を後にしていた。
がっくりとうなだれながら握りしめたハンカチを見つめる。
同じ剣道部の人間なら何か分かるかもしれないと探しまわったが、負けて意気消沈している彼らには中々聞き辛いものがあったので試合を見にきていたクラスの女の子にこっそりと教えてもらった。
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