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それは暑い夏の日。
寄せては返すといった表現がまるで全く別の何かを指し示す、あるいは全くの他人事であるかのように波は静かに鳴き、闇の広がる空の様子をその水面に写し出している。虫はおろか、鳥の姿さえ探し見つけることが困難なほどに生き物の気配が静まり返った中、砂浜の奥の森林から人影が抜けて来る。
人影はふたつ。質素な黒のジャージのズボンに、灰色のTシャツを着た青年。そしてそのすぐ後ろから、華やかな紫の花を散りばめた浴衣姿の少女。青年は歳は18くらいだろうか。対して少女の方は、下駄に慣れないような足取りからそれよりも若干幼く見える。
どちらからともなく、ふたつの人影は向かい合い、口を開く。だがそれは同時に森林の奥から漏れ聴こえる祭りの浮かれた音にかき消えていく。
青年が口を閉じれば次は少女。また少女が口を閉じれば次は青年。そうやって、どれほどの時間が過ぎただろうか。
不意に、祭りの音が止んだ。遮るものを失った青年の声は、しばらくの静けさのあと、波に負けないほど静かに、強く響いた。
「僕は・・・君が好きだ。他の何が邪魔しても・・・僕は君が好きだ」
青年の言葉には頼りなさが滲んでいたが、おそらく本気の言葉であっただろう。眼には力強い決意が表れ、手にはまるでこれから最期の戦いにでもおもむくかのように汗を握っていた。
「うん、私も。私も蓮司君のこと好き。大好きだよ」
対して少女は、彼の顔を見る前から答えが決まっていたかのように、青年の言葉にほとんど間を置かずに答える。
だが、本来ならそこには嬉しいという感情が芽生えるはずの青年の表情には、なぜか悲しみの色がみられた。
「・・・・・・・・・」
青年は何も言わない。何も言わず、悲しく微笑んだ。
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