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直哉も霊が見えない。絵画の前に灰を振ってみたが、何も居なかった。
「彼女ならば、隣に居る」
俺は灰を媒体に、霊を実体化することができる。男の隣に灰を振り返ると、女性の姿が浮かび上がった。
美しい女性で、男をじっと見つめていた。
「声、聞こえるか?」
女性の口元が動いたが、俺達は霊の言葉も聞こえない。
「灰、足すか…」
灰を足せば実体化が加速する。
「貴方は私を信じなかったけど、私は妊娠していたの」
霊になっても、思い込みはそのままだが、自分の腹を優しく触る女性は、狂っているようには見えなかった。
「貴方にも喜んで欲しかった」
「喜んでいたよ」
戸棚の引出しが、ボトリと落ちると、中から母子健康手帳のようなものが出てきた。
「お祝いしようと思っていたの」
自殺では無かったのかもしれない。
「海の夕日を見てから帰ろうと思ったの。花束を買っていてね、テーブルに飾ろう。お酒は赤ちゃんのために、私は飲めないけど。貴方のためのワインを買った」
幸せの絶頂だったはずだ。
「風に煽られて、花束が飛びそうだった。持ち直そうと、ワインを下に置いたら、倒れて転がったの。慌てて追いかけたら、私、崖のギリギリで夕日を見ていたのね」
女性は、崖から海へと落ちていた。
「貴方の悲しむ姿を見ていた。どうにか、私は自殺ではないと伝えたかったのに、貴方は私の言葉を聞かない」
何故自殺したのだ、何故一人で置いてゆくのだと、言葉が木霊していた。けれど、どうしても、恨みは浮かばない、愛しかない。そして、女性の生きていた過去しかなかった。
「私は、君と一緒に生きたかった。君の笑顔が全てだった、全てを失って、生きていたくなかったよ」
やっと思いが通じ合ったのかもしれない。互いに手を握り締めていた。
「人形は、棚にある。彼女がどこからか、貰ってきたのだ。子供の代わりに可愛がっていたよ」
棚を見ると、赤ん坊程の大きさの人形が入っていた。手作りだが良く出来ていて、笑いかけてきていた。思わず笑い返したくなるような、そんな人形だった。
「妻とまた会えたお礼に、私の絵をあげるからね」
言葉が小さく聞こえた。声を邪魔していたのは、ポケットの携帯電話だった。
「玲二さんからだ」
玲二は、俺の兄弟子のようなものだ。俺が、幼い頃に、玲二が同居していた関係で、実の兄弟のような関係だった。
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