第1章

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 直哉も霊が見えない。絵画の前に灰を振ってみたが、何も居なかった。 「彼女ならば、隣に居る」  俺は灰を媒体に、霊を実体化することができる。男の隣に灰を振り返ると、女性の姿が浮かび上がった。  美しい女性で、男をじっと見つめていた。 「声、聞こえるか?」  女性の口元が動いたが、俺達は霊の言葉も聞こえない。 「灰、足すか…」  灰を足せば実体化が加速する。 「貴方は私を信じなかったけど、私は妊娠していたの」  霊になっても、思い込みはそのままだが、自分の腹を優しく触る女性は、狂っているようには見えなかった。 「貴方にも喜んで欲しかった」 「喜んでいたよ」  戸棚の引出しが、ボトリと落ちると、中から母子健康手帳のようなものが出てきた。 「お祝いしようと思っていたの」  自殺では無かったのかもしれない。 「海の夕日を見てから帰ろうと思ったの。花束を買っていてね、テーブルに飾ろう。お酒は赤ちゃんのために、私は飲めないけど。貴方のためのワインを買った」  幸せの絶頂だったはずだ。 「風に煽られて、花束が飛びそうだった。持ち直そうと、ワインを下に置いたら、倒れて転がったの。慌てて追いかけたら、私、崖のギリギリで夕日を見ていたのね」  女性は、崖から海へと落ちていた。 「貴方の悲しむ姿を見ていた。どうにか、私は自殺ではないと伝えたかったのに、貴方は私の言葉を聞かない」   何故自殺したのだ、何故一人で置いてゆくのだと、言葉が木霊していた。けれど、どうしても、恨みは浮かばない、愛しかない。そして、女性の生きていた過去しかなかった。 「私は、君と一緒に生きたかった。君の笑顔が全てだった、全てを失って、生きていたくなかったよ」  やっと思いが通じ合ったのかもしれない。互いに手を握り締めていた。 「人形は、棚にある。彼女がどこからか、貰ってきたのだ。子供の代わりに可愛がっていたよ」  棚を見ると、赤ん坊程の大きさの人形が入っていた。手作りだが良く出来ていて、笑いかけてきていた。思わず笑い返したくなるような、そんな人形だった。 「妻とまた会えたお礼に、私の絵をあげるからね」  言葉が小さく聞こえた。声を邪魔していたのは、ポケットの携帯電話だった。 「玲二さんからだ」  玲二は、俺の兄弟子のようなものだ。俺が、幼い頃に、玲二が同居していた関係で、実の兄弟のような関係だった。
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