第1章

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 エレベータに乗り込むと、最上階のボタンを押す。 「真里谷、エレベータ動かして。遊馬も一緒だよ」  エレベータの防犯カメラに話しかけると、エレベータが動き出していた。  最上階は、真里谷の部屋だけだった。エレベータを降りると、直ぐに玄関となっていて、扉は一枚しかない。 「入ってきなよ」  ドアの向こうから、声が聞こえてきた。 「遊馬、久し振り」  全身黒い服の真里谷は、死神のようにも見えた。  真里谷が遊馬に抱き付こうと、両手を広げて近づいて来たが、遊馬が避けた。 「覚悟が無いのに、来たのかな?」  セクハラの親父と罵りそうになったが、ぐっと我慢した。俺が入ると、話がややこしくなる。 「愛斗、ちゃんと愛斗だと親に名乗ってくれ」  広いリビングのソファーに、真里谷が座り込んだ。 「俺のメリットはあるの?」  自分の親に会うのに、メリットが必要なのか?  広いリビングの奥は、寝室のようだった。生活臭は全く無く、まるでモデルルームのようだが、そこに飾られている遊馬の写真だけが現実感を出している。 「何のメリットが欲しい?」  真里谷が、口元だけで笑った。 「遊馬が欲しい」  窓の外には、街が見えていた。表の通りで、轟音が鳴る、今、事故が発生した。 「俺の何が欲しい?」 「心と体」  シリアスな場面なのだろうけれども、聞いていた俺が、台詞に照れてしまった。なかなか言えない台詞だ。 「一つだけなら、あげる」  真里谷が固まった。見開いたままの黒い瞳と、開いたままの口。遊馬に駆け引きができるとは思っていなかった。 「こころ…」  心と体、どちらか一方だけしか手に入らないなんて、そんな辛い恋はないぞ。 「分かった」  真里谷がぐったりとしていた。一瞬の迷いだったろうが、体を取るのかと思った。 「俺と、時々は会ってくれ。話しかけてくれ」  真里谷、どこまで遊馬に飢えていたのだろうか。初めて少し同情した。 「ちゃんと名乗るな?」 「約束は守る、けれど準備が必要だろう」  真里谷は約束通りに、自分が愛斗であることを告白した。連れ去り犯として、年配の女性が警察に逮捕された。死んだ子供の代わりに育てたという設定で、真里谷家にはその後、養子で入っていた。 「俺は、阿久津 愛斗でした。けれど、戻るつもりはありません」  真里谷家で育ったので、もう阿久津家には戻らないと、本人は告げた。
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