1人が本棚に入れています
本棚に追加
見える景色は歪んでいた。
いつから歪んでいたのかはわからない。
はっきりとしたものは何もない。ぼんやりとした形しかわからない。
それだけれど僕は生きている。それはわかっている。
それからもう一つ。僕の隣の“誰か"も生きている。左肩から伝わるわずかな温かさ、左手甲から伝わる鼓動。それ以外は何もわからない。
僕がどうして生きているのか、どうして世界は歪んでいるのか、隣の“誰か”は誰なのか。けれど、どれだけ考えてもわからなくて、結局歪んだ世界は戻らなくて、僕は疑問に思うことをやめた。
ごくたまに、遠くから声が聞こえた。かすかな音。何と言ってるか聞き取ることはできなかったけれど、だから僕はそれを空耳だと思った。
世界はただ歪んだまま、それ以外の変化は何もなく、時はゆっくりと流れているようだった。
その流れの中で、初めて、僕の身体に大きな変化がおとずれた。
変化の兆しはあったのかもしれない。左手甲から伝わる鼓動が、その時はほんの少し速くて、僕の中に、しばらくぶりに疑問が芽を出した。
それからは、とにかく痛かった。
心臓に激しい痛みが走り、僕は一瞬息が止まった。歪んだ世界が真っ赤になって、歪みすらも見えなくなった。心臓が脈打つ度に痛みが増し、苦しさも増す。けれど、僕は死ななかった。
痛くて苦しくて真っ赤でも、僕はまだ生きていた。そこからは何も覚えていない。
気がついた僕は、歪まない景色に感嘆するより、うずく胸に不平をもらすより、左肩の温もりが消えたことをさびしがった。
頬に熱いものが流れる。触ってみた指は濡れていた。
「涙だよ」
誰かの声がして、僕の視界は、それからまたしばらく歪んだ。
最初のコメントを投稿しよう!