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「狐塚先生」
放課後の美術室。
今日も渋谷先生は下手くそなバイオリンを弾いていた。
二階に上がった所で立ち止まり、バイオリンの音を切り取るみたいに声を掛けた。
狐塚は一昨日のデジャヴみたいに少しだけ驚いた顔を見せる。
「何、どうしたの」
自然で押し付けがましさのない言い方で、狐塚が尋ねる。
「調理実習でバナナのマフィンを作ったので、こないだ絵を描いてくれたお礼に」
「へえ、本当に?」
狐塚は僅かに顔を綻ばせ、「この光景だけ見ると人気者の教育実習生みたいだな。ありがとう」と笑った。
多分六メートルか七メートルぐらいの距離。
私はトコトコと狐塚に近付きながら、「後、狐塚先生と話がしたくて。取り立てて何がって訳ではないけど…でも忙しいですか」と尋ねる。
「ふうん。取り立てて何がって訳ではないけど、俺と話を?」
「そう。どうでもいい話を」と言って、狐塚の一歩手前で立ち止まる。
「どうでもいい話。へえ」
狐塚が口の中で呟くように言い、続ける。
「毎日提出して帰らなきゃいけないプリントがあるから、
それをやりながらになるけど、いいかな」
「全然、構わない、です」
「そう」
狐塚は口元をクシュッとさせて笑って、「それ、貰っていいの」と、私の右手を指差した。
狐塚の手がバナナのマフィンを受け取って一瞬触れ、滑らかで冷たい感触を残して離れていく。
銀色のアルミホイルの上のとこが剥がれ、狐塚は大きな一口の穴をかじる。
狐塚の唇は薄くて、ほんのりと紫がかっていた。
不健康だけどそれはどこか性的だ、と思う。
「卵と小麦粉と砂糖とバターの正しい配分で作ったって感じがする。美味しいよ」
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