第1章

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狐塚と初めて言葉を交わしたのは、早くもその放課後のことだった。 日直だった私は、狐塚のいる美術室まで日誌を届けに行かなくてはならなかったのだ。 うちの高校には校舎と離れた所に芸術棟があり、そこには音楽室と書道室と、二階建ての美術室が建っている。 でも、私は音楽を選択しているので、美術室に行くことは殆どなかった。 美術室の一階の扉は、元々は白いのに絵の具で所々カラフルに汚れていて、閉まりが悪いのか、引き戸が少し重かった。 だが、その戸を空けて、「すみません」と言っても、何の声も返って来ない。 誰もいないのか、と思いながら足を踏み入れると、電気は付けっぱなしで、耳馴染みのないクラシックのCDが流れていた。 そして、油絵の具の匂いが鼻腔を強く刺激した。 くうん。 何も懐かしくないのに懐かしい気持ちになって、ここは校舎とは少し違う空気が流れている気がする、と思った。 クラシックの上に、私のスリッパのペタン、ペタン、という音が被さって、部屋の中央に近付いていく程、油絵の具の匂いが重厚になる。 そして突然、甲高い金属音が唐突に耳に飛び込んできた。 え、何? 驚いて、金属音が鳴り続ける方にパッと目を遣ると、それは、カーテンで仕切りをした一階の奥から発せられているようだった。 キィキィと不快なような、それでいて音色のような、可笑しなリズム。 何かを無茶苦茶に奏でている? そろそろと近付き、「あの」とカーテンを開け、私はバイオリンを抱える渋谷先生の姿を認めた。 彼は、五十代ぐらいの男性美術教師だ。 彼は視界の中に私を受け入れ、音色はようやく止まる。 「あれ、始めて見る人だね。どうしましたか?ワタシに何か用事かな?」 渋谷先生は少し変わった喋り方をする。 眉と髪が濃くて、眼が強いのに力が抜けていて、“東京育ちの芸術家の端くれ”という感じがする。 「日誌を届けに来たんですけど、実習生の狐塚先生は」 言い終わらないうちに、「ああ、彼、二階」と返ってくる。 「そうですか、ありがとうございます」と頭を下げて立ち去ろうとする。 カーテンを開ける前にちらりと振り向くと目があった。 「君、美術かバイオリンに興味があったら美術部においで」 濃い顔立ちをクシャっとさせて、少しだけ笑い掛けられた。 先生は笑うと、クッキリした二重の目尻が垂れる。
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