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それについての返答も、すでに頭の中に出来上がってはいる。これまで、何度も何度も繰り返してきたでっち上げ話だ。
だがそれを、この老婦人は本当に信用するだろうか。
騙しおおせるか? 今までのぼんくらどもと同じように、この賢しい女性の目をも。
今もこうして向かい合っているだけで、彼女は、必死に身がまえる自分を嘲笑っているかのようだ。彼女の見えぬ眼の前に、見通せない秘密などひとつもないと言わんばかりに。
直之は口を引き結び、押し黙った。うかつなことは言えない。相手の言葉を慎重に待つしかない。
言葉が途切れた。慈乃もまた、同じように直之の出方を窺っているのかもしれない。チェス盤をはさんで、二人の名手が互いに先手を読みあい、長い沈黙に入るように。
八畳ほどの応接室に、緊迫感が満ちていく。紫檀のテーブルを挟んで対峙する二人のあいだに、青白い火花が散るようだ。
その時。
一陣の風とともに、重い観音開きの扉が大きく開け放たれた。
「おはようございます、お祖母様! ほら、今年最初のレンギョウの花よ! 今朝、やっと咲きましたの!」
1 仮面の令嬢
応接室に飛び込んだとたん、桜子(さくらこ)は息を呑んで硬直してしまった。
祖母ひとりしかいないと思っていた室内に、もうひとり、見知らぬ男性がいる。
この応接室は、貿易商として世界中を駆けめぐった初代久川男爵の趣味に沿って造られている。黒光りする木目を活かした重厚な装飾は男性的で、太い柱や天井の梁は、帆船を思わせる。壁には猟銃が飾られ、空気にもまだ葉巻の匂いが漂うようだ。反面、華やかさには欠け、女性が楽しくくつろげる雰囲気ではない。
けれど祖母は、この部屋を愛しているようだった。来客がなくても、午後の一時を必ずこの部屋で過ごしている。亡くなった夫の息吹をここで感じているのだろう。
だから、
「大奥様は一階の応接間にいらっしゃいます」
という女中頭の一言を聞いただけで、桜子はためらいもなくこの部屋へ飛び込んでしまったのだ。
そういえば、さきほどから正面玄関のあたりが何だか騒がしかった。きっと執事の大沢たちが、この青年を出迎えていたのだろう。
桜子はあらためて、見知らぬ青年に目を向けた。
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