第1章

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 身分も低く、頼りになる父も兄もいない身の上ながら、桐壺帝の寵愛を一身に受け、輝くばかりの男皇子を生んだ更衣。  更衣への帝の偏愛は毎日の政務さえ忘れさせ、国家の柱も傾けそうなほどだったという。  第一皇子を生んでいたとはいえ、同じ後宮にいる弘徽殿母后――その時はまだ女御だったけれど――がそれを許せるはずもなかった。  かげにひなたに、彼女は更衣をいびり抜いたという。  その心労が祟って、更衣は病に倒れ、若死にしたという話だった。  死んだ更衣への嫉妬心もあって、弘徽殿母后は彼女の息子である源氏の君を憎み続けたのだろう。 「弘徽殿母后と右大臣家の力を怖れて、誰もおおっぴらには口にしなかったのですけどね。更衣の死の直後から、その噂はあったのだそうですよ。右大臣家がひそかに僧侶、陰陽師を集めて、更衣を呪い、その命を縮めたと……」  ありそうな話だと、わたくしは思った。  呪詛自体もあり得ない話ではないけれど、右大臣家の繁栄を妬んで根も葉もない悪評をたてようとする者たちの、小ずるいささやきが、すぐ耳元で聞こえるような気がした。  ……ほらごらん、あの女が、自分の敵を呪い殺した女だよ。血塗られた手で掴んだ大后の座は、どんなに座り心地が良いだろうね。  人を呪わば穴ふたつ、いつか酬いがくるだろうよ。  いいや、もう因果はめぐってきているのではないか? 一天万乗の君とはいいながら、朱雀帝の弱々しさはいったいどうだ。あれで国を治める資格があるのか。  聞けばその視力も、日に日に弱っているというではないか。それも、無惨に呪い殺された桐壺更衣の怨念ではないのか……。  そんな噂を耳にするたび、お気の弱いお父さまのこと、さぞや更衣の怨霊におそれおののいたことだろう。ご自分の病はもちろん、祖父である右大臣の死も、弘徽殿母后ががらにもあらず病がちになっていたことも、お父さまにはすべて更衣の怨霊の仕業としか思えなかったらしいから。  そして源氏の君はいったいどんな思いで、そのささやきを聞いたのだろう。  右大臣家を、弘徽殿母后を恨み、憎んだだろうか。復讐を願わなかっただろうか。  お父さまが譲位され、自分が後見している東宮が新帝として立たれた時、復讐は成就したと喝采したのだろうか。  ましてやその右大臣家の血をひくわたくしを、めとらねばならないと決まった時には。
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